KLINFELTER SYNDROME

クラインフェルターの処遇

 

 矯正医学心理学会の東京矯正管区部会の研究会が、東京八王子の法務省医療刑務所病院で開催された。研究会への部内出席者は法務省の精神医官と心理技官、ならびに法務総合研究所の調査技官と分類技官である。大学からの研究者は、東京医科歯科大学の難治疾患研究所の精神鑑定医である教授グループを中心とした精神医学者と心理学者がいつもに増して大挙押し寄せて参加していた。今回は「染色体異常症の治療理念」をテーマにしたディスカッションに多くの関係者が興味を示しているのである。

 染色体異常症である「クラインフェルター症候群」は、男児500の出生当たり1人位の割合である。成年に達しても男性器は未発達である一方乳線が発達しているので、女性に見間違うことも少なくない。受刑者の中でも愚犯の累犯者の中には、売春がらみで数が多い。各地刑務所の刑務官はこの疾患の行動異常に対応できないので、医務室の医官は八王子医療刑務所か医療刑務所大阪支所に入院させたがるのである。各地刑務所医務室に精神医官が配置されていないに等しい充足率と無縁ではないが、雑居房に入れると売春がらみの傷害事件が起り独居房は懲罰房の意味合いがあるので、刑期一杯収容しておくわけには行かない。そのために分類技官が処遇困難者と判定してしまうのである。医療刑務所精神科への入院処分が簡単に確定するのだが、入院期間は服役日数に算定されない。

 研究会の座長である医療部長で精神医官の氷見はクラインフェルターの受刑者が服役前は女性として生きて来たのだから、より女性らしくなるようするのが治療の目標であるという固い信念を持ってホルモン療法に強い意欲を示している。それに対して大阪支所の精神医官秋田は、クラインフェルターは染色体の異常で女性化しているのだから、女性化している部分を除去しても再男性化が治療の目標であるべきと強い主張をしている。患者からの希望があるならば、肥大化した乳房を取り除き男性器を形成した方がよいと考えている。今までに学会の研究雑誌上においての討論はあったが、今回の直接対決には意欲的であり症例である受刑者を大阪から移送していて出頭させる予定になっている。

 精神医官の氷見は、医師でありながら行政職で入省して短期間に異例の出世をし、天下る形で医師としては要職である医療刑務所の医療部長に就任した浪速節の親分タイプである。誰にも気さくに接して部下の求めに気軽に応じるので、看護婦看護士や保安職員たちの評判はすこぶる良い。法務省の医療職の医師は、常勤であっても勤務先へは週に二日半ぐらいしか出勤せず民間病院などで常勤医をしているのが当り前になっている。公務員の医師の給与が低いので副業を黙認しないと欠員を充足することが出来ないというのが言い分である。ところが1週間きちんと勤務して夜勤当直のアルバイトもしないので、夜勤者が緊急時に官舎へ電話をかけても必ずといってよいほど在宅しているので、その信頼感は絶大である。

 それに対して精神医官の秋田は、かつて学生運動の闘士で研修医制度をボイコットし、大学病院の精神科病棟を仲間と自主管理した経験を持つ。地方の刑務所の医務室に勤務したが、無知や極貧のために犯した殺人の死刑囚などの精神鑑定を積極的に引き受けた。卓越した弁舌と巧みな論理の展開で精神鑑定をして、検察を圧倒する攻撃的な法廷論争で不起訴や減刑を勝ち取っていることで知られている。先進の精神医療システムを導入するためと法務大臣を説得し、法務省派遣国費留学生としてイタリアとオランダに学んだ。2ヵ国留学期間が1年だったため、さらに2年間滞在延長をするために休職し、自宅で診療して滞在費を稼ぎ出していたという伝説の保持者である。イジメられてガリ勉になり、ガリ勉だからとイジメられた体験から、男は強くなければならないという信念をもち、誰をも論破して服従させる覇権主義者という風評がある。

 

 

 

一幕 研究会会場の壇上

 

 下手で机を前にして椅子に座る氷見医療部長と、上手で同様に秋田精神医官が座る。氷見医療部長の症例受刑者が刑務官に付き添われて下手から現われ中央に並んで立つ。ついで、秋田精神医官の症例受刑者も刑務官に連れられ下手から現われ中央に並んで立つ。

 研究会が開始され会長挨拶などが型通りに進み、今研究会の指定症例検討が始まった。座長である氷見医務部長が指定症例のクラインフェルター症候群についての簡単な説明と全国の刑務所におけるその受刑者の実態が報告された。続いて症例紹介となり、氷見医務部長の2症例と秋田精神医官の2症例の計4例の紹介がそれぞれの調査技官によってなされた。

 症例紹介の調査報告書は予め分類技官による精神鑑定に準じて鑑別されて保管されている報告書に、今回の目的に合わせて調査技官が面接聞き取りによって作成した増補別綴を加えたものである。それぞれ症例の報告書に基づいた生育歴、現病歴、生活歴と犯罪歴などが紹介されたが、増補別綴に基づいた治療経過に興味が集中した。

 主治医カルテと看護日誌および保安部の担当刑務官による房内記録に基づいたものであるが、主治医カルテに記載されている治療経過に対して調査技官が看護日誌と房内記録から症例受刑者の言動を拾い出し、定期的な面接を繰り返し充分な時間をかけて本音を聞き出したものである。虚偽尺度を設けた質問紙法の心理検査を面接毎に実施して得た信頼度の高いものである。

 氷見医務部長の症例であるA受刑者もB受刑者も治療方針の女性化には納得していた。また秋田精神医官の症例であるC受刑者もD受刑者も治療方針の男性化には納得していた。そして速やかに治療が終了して退院し、元の刑務所に戻って入院中の成績が評価されて仮釈放となるのを望んでいるのだ。男性にされることや女性にされることよりは、服役期間が長くなるか短くなるかの方に強い関心を持っていることが明らかにされている。

 氷見医務部長の2症例であるA受刑者とB受刑者はその場に残るよう指示され、他の2名は刑務官に連れられて壇上上手に移る。症例4人は外科手術を受ける患者が着る前開きワンピースを身に着けていて、その下は素裸のようで下着をつけているふうはない。

 刑務官の号令で中央の2人が着衣を脱ぎ落し、氷見医務部長がホルモン治療で乳線がより肥大して乳房を形成している様と、男性器がより萎縮し殆ど目立たない様を説明した。そして持論である女性化による適応力強化を力説する。

 

 

休憩

 

 

 

二幕 研究会会場の壇上

 

 下手で机を前にして椅子に座る氷見医療部長と、上手で同様に秋田精神医官が座る。氷見医療部長の症例受刑者が刑務官に付き添われて下手から現われ中央に並んで立つ。ついで、秋田精神医官の症例受刑者も刑務官に連れられ下手から現われ中央に並んで立つ。

 次いで秋田精神医官の2症例であるC受刑者とD受刑者がその場に残るよう指示され、他の2名は刑務官に連れられて壇上下手に移る。刑務官の号令で中央の2人が着衣を脱ぎ落し、秋田精神医官が外科手術で肥大した乳線を切除し、陰嚢の形成術を施した様子を説明した。そして持論である男性化による適応力強化を力説する。

 氷見医療部長は座長の立場から会場に発言を求めるが、意見を発表する者は少ない。治療の目標が女性化か男性化が争点であるが、双方の症例が不満を持たないという調査技官が作成した資料が示している。そのために盛り上がらず、氷見医療部長に敬意を示して賛意を表明する意見が多い。しかし、かつての学生闘士が主要メンバーである精神科青年医師連合通称"米つき青医連" が負けずに秋田精神医官を支持していた。

 精神鑑定の大御所である東京医科歯科大学の阪田名誉教授がフロア・マイクの前に進み出て発言許可を座長に求めた。「本来精神鑑定は患者に利益をもたらすものだから本心を隠さず語ってくれるのだが、本報告に提出された資料は精神鑑定の手続きを取っていても鑑定書とは異なるもののように思うと発言した。」治療の正当性を証拠だてる未必の故意と受け取られても致し方ない要素が充分あると言う。そして前例の無いことではあるがと前置きして、

 せっかく患者諸君に陪席して頂いているのだから、この際に発言を認めてみたら如何だろうかと提案する。純粋学術研究の場であるから発言後に不利益とならない配慮を約束すれば協力は得られるでしょうと結ぶ。

 

A受刑者

 自分は男であります。しかし、子どもの頃から男らしいことが不得意で、辛い思いを味合わされて来ました。高校を中退して料亭へ調理士の見習いとして就職しました。心身共にたくましさが足らず、女の腐ったような男と蔑まれました。兄弟子から無理やり女の扱いを受けてからは、苛めを受けなくなり、楽に生きる方法を身に付けてしまいました。男娼として生きるしかない人生を送って来ましたが、男の心を消し去ることも出来ず腑甲斐ない自分を責め続けるしかありません。部長先生から女の身体にして頂き、これで女として生きて行けるかも知れないと考え、男の心を忘れられるようになるのではないかと期待しております。

 

B受刑者

 自分は田舎者ですから、都会に憧れたのが失敗であります。こんな身体では田舎に暮らせなかったのですが、都会だったら生きて行けると考えたのが間違いだったのです。都会では田舎訛りが出るだけで馬鹿にされますが、女言葉を使えば楽に生きることが出来ました。おかまのふりをしていて、おかまが生業になってしまいましたが、心は男のままであります。部長先生は受刑者が年1回しか甘味菓子を食べられなかったのを、2回も食べられるようにして下さった温情家で知られています。今までの自分を考えてみたら、部長先生のご判断に間違いは無いと思います。しかし元刑に帰って仮釈が貰えたら、田舎へ帰って両親と暮らそうと考えていましたが、治療効果が抜けるまで暫くは帰れないと考えております。

 

C受刑者

 秋田医官先生は自分ら受刑者を仲間と言って下さいました。ヨーロッパで学んだ治療共同体という新しい考え方で、先生方と自分らが平等であると教えて下さいました。それを真に受けた訳ではございませんが、自分らの訴えに耳を傾けて下さいました。男の世界ですから、男らしい犯罪を男らしく犯した受刑者は立場が強いのですが、自分らのような者はおかまで無くても、おかまと決めつけられて処遇も決まってしまいます。自分が男であることを初めて認めて下さったのが秋田医官先生であります。秋田医官先生は身体も生粋の男になるよう、手術を受けるよう勧めて下さいました。形成外科の医官先生と相談までして下さり、手術の痕が分からないように工夫をして下さいました。秋田医官先生は命の恩人だと思っています。

 

D受刑者

 自分はD受刑者と同じ考えでありまして、秋田医官先生には感謝しております。男の身体にして貰えまして、生まれて始めて自分の身体を取り戻せた気がしていますが、正直な気持ちは迷っております。ずーっと男の身体になりたいと思っていましたが、いざ願いが叶ってみると気持ちは複雑であります。今まで自分の気持ちの中に、男の自分と女の自分を共存させてバランスを取っていました。時々男の自分と女の自分が分裂してしまう恐怖感に襲われることがありますので、女装は趣味で始めたような気でいましたが、本当は分裂する恐怖感を封じ込める絆創膏のようなものだったのです。秋田医官先生に男の身体にして頂いたので、心身共に男で生きる方向が定まりました。不安の気持ちで一杯ですが、段々馴染んでいけば不安も無くなるのではないかと考えております。

 

 氷見医療部長が座長として発言し、精神鑑定の大御所である阪田名誉教授のご教示で症例諸氏から貴重な意見を聞きました。さすが阪田先生のご提案通り、大変有意義な時間を持つことが出来ました。フロアの皆さんのご意見をお聞きしたいところですが、症例諸氏の意見発表で予定の時間をすでに消化してしまっています。残念ではありますが次の予定に支障を来しますので、これをもって指定症例討論を終了させて頂きますと挨拶して締め括った。

 するとまた阪田名誉教授が挙手し発言を求め、ご来場の諸先生方は例外なくご存じのことと思いますが、あの夏目漱石の著作は精神医学者と心理学者を目指す学徒は教科書のように読んだものでした。常々作家というものは鋭い洞察力を持っていると驚嘆していますが、あの「彼岸過迄」の敬太郎が、我々臨床家に反面教師として臨床の勘どころ教えてくれています。おぼろ気ながらの記憶でもある先生方でも、正確なところはお忘れになっているでしょう。

 あの「彼岸過迄」は人間を理解するということがどういうことかを暗示している点で大変面白い。すなわち好奇心を以って人間の行動を観察するだけでは足りない。直接会ってその人の話しを聞かなければならない。しかしそれだけでもまだ足りない。傍観者の立場で聞いているならば、聞いたことの本当の意味は分からない。本当に分かるためには傍観者の立場を超えて、

 「相手の心が伝わって来るような聞き方をしなければならない」と戒めている漱石先生の言葉は、そのまま今日の我々にも向けられたものと胆に銘じておかなければならないと思います。私たちが日々接する患者さんは同時に受刑者という制約を受けて沈黙することを強いられています。彼らは常になんらかの形で自分の心を伝えていますが、時に過激に伝えることすらあっても、誰からも理解されないままにいるでしょう。それを理解することこそ臨床家の責任であると言わなければなりません。それを理解できるということこそが臨床家の専門性であると言わねばならないのであると凛とした声で述べたのだ。

 

 

 

[海外公演版]

 

Sich mitzuteilen ist Natur; Mitgeteiltes aufzunehen, wie es gegeben

wird, ist Bildung. ---- Goethe.

 これはゲーテの著作「親和力」に出て来るものです。小説のヒロインとなっているオッティリエの日記の中の言葉であって、小説の筋とは無関係に彼が挿入したものです。

 「自分の心を伝えることは誰もNatur(自然)にできる。しかし、伝えられたものを、伝えられたままに受け取ることは培われた感性(Bildung)である。」という言葉は、ただ無造作にそれを小説の中に投げ込んだと考えにくい。やはりそこに何等かの必然性を認めたので、ゲーテがそれを作中人物の言葉としたというべきでしょう。

 小説の筋を一口でいうと、オッティリエは物静かで感性に富んだ若い娘であって、大人たちの三角関係に巻き込まれた末に、最後は拒食症といってよい状況に落ち込んで衰弱死を遂げる結末となっている。ここで最も興味深いことは、彼女には大人たちの気持ちがよく分かったが、大人たちには彼女の本当の気持ちが分からなかったという点である。

 私たちが日々接する患者さん同時に受刑者という制約を受けて沈黙することを強いられています。彼らは常になんらかの形で自分の心を伝えているが、ときに過激に伝えることすらあっても、誰からも理解されないままにいるでしょう。それを理解することこそ臨床家の責任であると言わなければなりません。それを理解できるということこそが臨床家の専門性,すなわちBildungがあると言わねばならないのであると凛とした声で述べたのだ。