|
イエス・キリストの生涯をこれほど端的に表現した歌詞は他に見られないでしょう。この人を見よ、この人こそ人となりたる活ける神なれ、とイエス・キリストは神の子であって人の子でもあったと多くの人たちから信じられています。天使ガブリエルから「神の子」を生むと告げられたマリヤがいとこのエリサベツを訪ね、やはり神の子の仕事の“露払いをする者”と告げられていて生まれた赤ん坊を見て、またそれを信じられずに口がきけなくなっていた父親が予言どおりにその子にヨハネと名づけて喋れるようになったのを知り、告げられ信じていた神の意思がついに具現したと思いました。
同じ年のうちにイエスが生まれ、この時から支配者ヘロデの追求を逃れて過ごしたエジプトの一年までを除いて、母マリヤの目を通して見たイエスは素直で賢い普通の子どもであったに違いありません。ガラリヤの小さな町ナザレで、貧しくも勤勉で異文化の圧迫にとまどいながらも信仰を守る人々の慈しみに育まれ、会堂でアラブ語の読み書きと詩歌そして祈りを学び、父ヨセフからは木や石で家を建てる大工の仕事を習いました。ユダヤの人たちは年に一度の「過ぎ越しの祭り」を祝うために、都エルサレムへ詣でます。
イエスも両親弟妹と共に都へ上り、神殿へのお参りを習慣としていました。家族揃って歩く旅が楽しみでもあったのでしょう。12歳になった年にイエスが参拝途中で行方不明になり、両親は3日間も捜した後に神殿で律法学者たちと議論をしているイエスを見つけました。理由を尋ねられるとイエスは「なぜ捜したのか、私が父の家にいるのは承知のはず」といったということが弟子のルカによって記され伝えられています。これは、イエス自ら神の子であると知らしめたエピソードですが、もしこれが事実であるとすると、イエスの振る舞いは市井の大工の子ではなくどう見ても宮殿にもどった王子そのものです。
国の王となり君臨するよう生まれついた者は、帝王学によって国民のために死ぬ覚悟をもたされています。もし神の子としての自覚をもたされていたならばエフライムの荒れ野に籠もり自らの人生の意味やなすべきことについて深く考えることもなく、最後の晩餐の後に油絞りの器という意のゲッセマネの園で血の汗が滴り落ちるほどの祈りはなかったのではないでしょうか。迫り来る十字架の死に耐え難い思いで徘徊し、キドロンの谷を渡りオリーブの山へと歩いたのでしょう。「万能の神よ、この苦しみから救いたまえ。わたしに危険が迫っていますが、わたしの願い通りにとは申しません。
御心のままになさって下さい。わたしは御心に従います。」と祈っています。イエスは自分の「願い」を心底に収め、父なる神の“健気な子”として「御心の通り」とひたすら従い従順であろうとしています。耐え難い恐怖に耐えて十字架につき、その恐怖が頂点に達した時には「父よ、なぜお見捨てになったのか」と叫んでいます。そして最後に「感謝してお任せします」といい絶命します。イエスの死に臨む気持ちは、若くして死ななければならない人間の気持ちそのものです。神の子ゆえに悩んで生き、そして苦しんで死んだ「人間イエス」を知ることが、神の子をこの世に遺した意思を知るきっかけとなるのではないでしょうか。
この人を見よ。
|