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私は精神衛生のコンサルタントとして、「ピーペット(P・P・E・T・=People&PetEffec-tivenessTraining)」という考え方を提唱しています。これは単に「飼い主とペットの良好な関係の作り方」という意味ばかりではなく、「人間関係の訓練法」または「対人関係改善法」と「ペットの効果的な訓練法」という三つの考え方を含んでいます。
私は臨床心理学者ですが、比較心理学の立場から動物心理学と人間心理学の両方に興味を持っています。そして「動物の行動」と「人間の行動」の基本的なところに違いを感じていませんから、「人間」が学校や職場や家庭という社会環境にうまく適応する必要があるのと、「ペット」が飼い主の家庭という環境にうまく適応する必要があるのと、どちらも同じと考えます。 そして人間もペットもともに「適応」がうまくいかないとノイローゼになったり、反社会的な行動に出たりして著しく不利益を被ることにもなります。
また「ペット」という言い方は、人間側から一方通行の感じがするので、友達とか仲間という意味合いで「コンパニオン・アニマル」という言い方に変えたほうがよいとする考え方があります。確かに、そのとおりだと思いますし、そのように言い改めればペットたちも溜飲が下がると思います。しかし、あまりにも「ペット」という言い方は定着していますし、「コンパニオン・アニマル」という言い方は馴染みにくい感じがします。そこで「ペット」という言葉の概念を「被愛・愛玩」にかぎらず、「伴侶・仲間」もとうぜん含まれているものとすればよいと思います。現に「ぬいぐるみ人形」以外はまったくの一方通行とは思えませんし、ペットに一方通行を感じながら飼っている飼い主はいないと思います。
わが家にはラブラドール・リトリーバー犬のタロウ(太郎、四歳)とハナコ(華子、三歳)がいて、いままで二回の出産で計一四匹の子持ちです。タロウが満一歳になった時に結婚相手を見つけてあげようと考えましたが、お見合い相手がなかなか見つからず、四方八方探してもらい、生後三ヵ月になったばかりの色黒で目鼻だちがハッキリしている「マイ・フェア・レディー」のイライザのようなハナコに出会いました。
普通、飼い主はこれはと思える子犬を連れてきて、一緒にさせてそれが当たり前と考えているようです。しかし、私は心理学者でコンサルタントですから、お見合いにも心理学的技法を駆使し、タロウが見合い相手と「偶然にも出会う距離」(Chance Distance)から「より近づいた距離」(Psychological Distance) を引いて、その差の大きいもの、その時間の多いものをタロウが選んだ結婚相手と判断しました。それがハナコだったのです。
飼い主である私は、父親の心境でかつ動物心理学者の鋭い目で子犬たちを眺め、外見からはラブラドール・リトリーバー犬の特質をより多く備えたもの、性各は外来者に近い距離をとるか遠く離れているか、呼ばれたら寄ってくるか逃げるかで判断し、より望ましいものをと考えていました。しかし、タロウが選んだハナコは外見上の特質はやや落ち、性格は明るく物怖じしない家庭犬に向いたものと思えましたが、ラブラドール・リトリーバー犬とは言え、元気すぎるとこらがむしら気になりました。
「タロウが気に入ったのだから」と、父親の心境そのもので「嫁入り」を認めましたが、おっとりと育ったタロウと比べるつもりもなく、比べてしまいました。しかし、ハナコはタロウの「婚約者」として三ヵ月、半年と経つうちに、「イライザ」からマイ・フェア・レディーへと見事に変身しました。初潮の次の回に交尾を許して「結婚」させようと思っていましたら、いつのまにか妊娠してしまっていたので、仕方なく急遽「夫婦」ということになりました。
ハナコは人間で言えば中学生か高校生で子どもを生んだようなものですから、妊娠が発育の障害になってはならないと、栄養面では特に気をつかいました。周囲から「お腹の重みで背骨が曲がってしまう」と脅かされていたので、気休めと思いつつも、できる限りお腹を上にして抱っこしていました。若すぎて「出産」というものを理解できていないようで、第一子を生み落とし、羊膜を舐めとってあげ、握り拳二つぐらいの大きさの子どもがモゾモゾと動きだすと、ハナコはビックリし、半信半疑ふうに小さな声で「ウワンッ」と吠えつきました。
七匹の子どもは平均体重より大きく、元気がよくて、あまりの飲みっぷりのよさにあって、ハナコは「乳腺炎」になってしまい、子どもたちに近づこうとしません。どうなるものかと見守りますと、タロウが子どもたちに添い寝し、ふところに抱え込み、うんちとおしっこを舐めとってやり、まるでお母さんのような行動をとりました。もともと犬は糞食でもあるようですから、母(父)性愛からなのか、単に食欲がそうさせたのか、タロウは食事の前と後とに顕著な変化は見られず、確かめることはできませんでした。しかし、優しいタロウ父さんの「世話行動」と考えると心がなごみます。
私は大学で研究をしていたころ、心理学の実験のためにニホンザル、ラット、マウス、モルモット、ハト、ウサギ、イヌ、ネコ、キンギョ、イトヨを飼育し、繁殖させていました。いろいろの小動物と一緒の生活をしていて感じたことは、どんな動物も生後一年までは放っておいても「ペット」でいてくれますが、一年過ぎると自分を主張するようになり、どんな時にも素直で従順というわけではいかなくなるということでした。
大学を離れてからは、自宅で手が掛からないということから、まずハムスターにキンギョとメダカを飼いはじめ、いつのまにかダルマインコ、コザクラインコ、ボタンインコ、セキセイインコ、カニ、そして柴犬の雑種を10年間飼ったのちに、ついにラブラドール・リトリーバー犬と運命の出会いをしました。盲導犬協会の「パピーウォカー」を経験し、現在はラブ犬タロウとハナコを家族の一員として毎日の生活を送っています。
さて前述の「ピーペット」の三通りの考え方にそって、「躾け」と好ましくない行動から好ましい行動へ「変容」させる心理学的「治療」の意味を考えてみましょう。
ペットは生後一年までは素直で従順です。なんの努力もせずにペットとして扱えます。グレート・ピレネーズやセント・バーナードのような超大型犬でさえ力は強くても、手に負えなさそうなのは見かけだけで、きちんと言い聞かせれば素直に従います。この間に家族の一員として共存できるよう「マナー」を身につけてもらわないと、一歳以降は手がつけられなくなります。訓練所へ半年以上は入れて躾け直しをしてもらわないと、一緒に暮らせなくなります。
ペットはなるべく生後間もない時から飼うようにします。小鳥だったら産毛に包まれていて、まだ自分で餌をついばめない頃から、給餌器で餌をくちばしの隙間から押し込んで育てれば、「手乗り」どころか、家族の一員として、ケージなしで家のなかに自由にさせて飼えます。犬でも猫でも生後五日間母親の「初乳」を飲ませて免疫をつけさえすれば、いつでも母親から離してミルクを哺乳瓶で飲ませ育てられます。ペットと暮らす幸せを十分満喫するためにも、ペットに幸せな暮らしを与えてあげるためにも「面倒臭い」ことを「面倒がらず」にやってあげることが秘訣です。
よく子どもが飼いたがっても、面倒みないからとペットを飼いたがらない親がいますが、ペットを飼うことはまず自分のためであり、それが子どものためにもなると考えてください。 犬を飼うと散歩が面倒と言いますが、四〇歳過ぎたら「成人病予防」のためにも散歩をし、犬が面倒がらずに付き合ってくれると思えば、感謝したい気にもなります。
いかなる人間関係の場合でも、心理学による改善法の基本となる考え方は、「好ましくない行動を、好ましい行動に<変容>させること」ですから、どのような人間関係でも方法は一緒ですから、ここでは親子の関係を中心にして考えてみます。ペットは一年過ぎるとペットではいてくれなくなり、扱いが難しくなりますが、犬の一歳は人間の18歳に相当するようです。面白いことに、人間の子どもも高校生までは子どもでいてくれますが、そこから先は一人前であることを認めてもらいたがります。
思春期までは「躾け期間」ですが、この間に「躾け」終わらないと、厄介になります。問題の登校拒否や家庭内暴力は、この頃までに解決しておかないと、訓練所(病院や矯正施設)のお世話にならなくてはならなくなります。ちょっとした「扱い間違い」をすると、とんでもないことになるわけですから、思春期の「子どもの心理」を知っておく必要があるのです。どこの親も「転ばぬ先の杖」を考えてしまいますが、目いっぱい背伸びをしてでも「一人前」と思いたい子どもにとっては極めて煩わしいことです。おでこにたんこぶをこしらえても膝こぞうを擦りむいても見て見ぬふり、一歩遅れて見守るのと、「お為ごかし」を避けるのが一番の秘訣です。
ペットも人間も基本的には殆ど同じであることに気づいていただけたことと思いますが、私が提唱する「ピーペット」は動物行動学、動物生態学と人間行動学、人間生態学に行動心理学の視点で検討を加えたものですから、その背景には「行動理論」があり、さらには「学習理論」があります。
アメ(ご褒美)は与え方によっては効果がありますが、ムチ(体罰)は飼い主とペットの関係を壊すことがあっても、望むものはなにも得られません。もし飼い主が絶対的な支配者であることを望み、たとえ敵意や怨みの感情をむきだしにしていても、それでも指示に従うペットがよいと考えるならば、すでにペットではなくなってしまいます。
アメ(ご褒美)で釣るという考え方がありますが、アメを見せての行動変容(レスポンデント)は一時的なものです。もしアメがなければ、またアメに飽きたら本当に行動が変わったものでないことがすぐにわかります。アメは変容の「強化因子」であることは確かなことですから、「釣る」という間違った考えを改め、たまたま偶然にでも自発的に好ましい行動をとったならば(オペラント)、オーバーに態度と言葉で称賛し、飼い主の喜びがペットの喜びになるようにする際に、アメ(ご褒美)を与えるとさらに強化されます。
しかし、その都度必ず与えると(連続強化)、アメを見せて「釣る」(レスポンデント)結果と同じになってしまいます。一定の法則性を持たせない与え方(ランダム強化)をすると、アメ(ご褒美)を与えられなくても、好ましい行動をとるようになります。
ペットの「躾け」は、生まれてから一年ぐらいの間に「獲得してしまった好ましくない行動を<矯正>する」といったふうのものよりも、「好ましい生活習慣を身につけさせるために<指導>する」ものと考えてほしいと思います。生活習慣として「好ましい行動」をとった時には、表情、身振り、言葉など、ありとあらゆる行動で「称賛」を伝えます。やって当たり前のことは「褒めるほどのことでもない」と褒める気にはならないかもしれませんが、それでも褒めてあげることが必要なのです。ペットには内心思っても伝わりません。したがって、できるだけ多くの行動で示してあげる必要があるのです。
人間の子どもにも、当たり前のことができなかったり、当たり前のことをするのに大変な努力を必要とすることがあります。右利きに左手でやってもらうようなこと以上に大変なことなのです。親に助力を求めることや、褒めてもらいたがることに応じることは、必ずしも「甘やかし」ではありません。好ましい行動を身につけて、それが習慣になるよう「指導」し、できたら「褒める」という習慣を「面倒臭がらず」に飼い主が身につけたら「躾ける」という意識を持たずに「躾け」られることになります。これは人間の場合も同じです。
好ましくない行動を防止するためには、叱責や体罰にたよらず、好ましい行動が自然にとれるよう環境を整えてあげることと、言葉と身振りで教えてあげること、場合によっては好ましくない行動をとってしまいそうなときには「抱き抱え」ていたり、「捕まえ」ていたりして防止します。子犬や子猫の「トイレット・トレーニング」を例にして説明しますと、ベッドとトイレをサークルで囲っておいてあげます。そうしてあげないと、部屋が広すぎて、とんでもないところに「お漏らし」をしてしまいます。「トイレ」と指さして場所を教えてあげたり、間に合いそうもないようなら、トイレに乗せてあげる必要があります。
トイレ以外のところにお漏らしをし、叱るよりははるかに効果があり、関係を損ねる心配もありません。「先手必勝」はペットの躾けの場合にも言えることで、好ましくない行動は未然に防いで、好ましい行動へ水向けできます。
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