「 一味違う回答コーナー 」

月刊「狩猟界」誌連載 

やさしいペットの精神科

 

 心理学コンサルタント  中嶋柏樹
やさしいペットの精神科 (14) 問題行動の解決法 その10
支配癖の行動変容

 

 数年前に「母原病」という言葉がはやりました。病気を治すはずの医師が患者をつくってしまう「医原病」をもじり、母親が原因である子供の病気を言います。提唱した小児科医の意図を無視して一人歩きし、世の母親たちに不安を与えてしまったようです。「ダブルバインド・マザー」であるとか、「シゾフレニック・マザー」という言い方で、情緒障害児や精神分裂病児をつくってしまう「支配的な母親」の育児態度が問題にされたこともありましたが、自閉症が育て方によるものでないとハッキリと否定された頃から、子供を病気にしてしまうその「育て方」が専門家の間ではあまり話題にならなくなってしまいました。

 先天的であるとか後天的であるとかが常識のように言われていたことが、研究が進み検証されてみると、遺伝病と思われていたものがそうでなく、「育て方」が主な原因と思われていたものが、そうでないと否定されてしまったものがたくさんあります。「母原病」と言われているもののなかでもアレルギーやアトピーの絡むものは、“ニワトリ・タマゴ”のようなものですから、それと決めるのは酷です。またその患児を世話する母親の苦労を考えると、「母原病」などといってはあまりにも気の毒です。生まれてきた子供を育ててみて、初めてのときは、どんなことにでも「そんなものなのか」と思ってしまいますが、次の子供を育ててみて、その違いに気づかされます。そして「育てやすい子供」と「育てにくい子供」とがあることに気づかされることもあります。

 一般的には、初めての子供には厳しくし過ぎて、次の子供には甘くし過ぎて、3人目でちょうどよくなると親の子育てぶりを言いますが、これはあくまでも“ふつう”の子供を育てた場合のことで、初めての子が「育てやすい子供」だったりすると気負い込むことも厳しくする必要もなく“子育ての天才”だったのかも知れないと密かに思ってしまうほどすんなりと育ってくれてしまいます。ところが、初めての子が「育てにくい子供」だったりすると、どんなに努力し工夫してもうまく育ってくれないのです。傍目からばかりでなく不必要と思えるほど手を掛けて、ようやく何とかなるようなことの繰り返しで薄氷を踏む思いの毎日を無我夢中に過ごし、ふと気づくと周囲に冷ややかな視線を感じ、「手を掛け過ぎるから丈夫な子に育たない」とお為こがしに中傷されたのではたまったものではありません。

 こんなときに孤立無援の状況にあって共感してくれる理解者も皆無だったりすると、「育児ノイローゼ」になるしかありません。「親は無くても子は育つ」というのは、そういう場合も時にあるということで、多くの場合には親が無ければ子は育ちません。子育ての真っ最中は自信のないままに無我夢中ですが、子供を育て上げて立派に成人させた頃になると自身がわいて、育児評論家か児童心理学者のような言い方をするようになります。たまたまの経験から得られた知見を一般論としても通ると誤解してしまうのでしょうが、不安の極みにさらされて窮して通じた経験は、それほど大きく強く感じるものなのでしょう。全責任をもって育てるということはそういうものかも知れません。

 思春期の子供を育てるコツは背伸びして一人前であると思いたがる気持ちを尊重して、数歩遅れた後について見守ることだといいますが、つたい歩きをしたがる幼児が母親の手を払いのけようとするのと同じようなものと考えれば理解できます。過保護、過干渉であったり、「支配欲」が強かったりする母親は、子供がこの時期にまで成長してきていても、いつまでも少年期のときのままに扱いたがります。この時期の子供が背伸びをする気持ちの中に、いつまでも子供でいることは許されないという気持ちも一因としてあります。しかし、子供のときには許されたものでも大人になると許されなくなる不便さを強く感じている時期でもあり、不愉快な「子供扱い」であっても都合よく利用してみると、それなりに便利でもあるので、誰の手も借りずに克服するしかない思春期の「挫折」も、それを克服できるようになるまでの苛立ちと焦りを紛らすのに、その「子供扱い」を利用して、母親に「八つ当たり」をしたり、「いいがかり」をつけてウップン晴らしをし、ヒマ潰しをします。

 親を自由に動かして便利な手足のように使ってみると、不甲斐ない親の態度に怒りを感じても、その便利さ重宝さは捨てがたいものとなってしまいます。そのために「挫折」から抜け出すのに時間が余分にかかったり、抜け出せなくなる危険もあります。思春期挫折症候群で家庭内暴力をしている母子関係はまさにそれがエスカレートした状態といえます。愛犬と飼い主の関係も、パートナーとして平等で「平和共存」であることが好ましいわけですが、「平和共存」などと言いながらも「人間社会に生活するからには人間の生活にある程度会わせるのは仕方がないこと」という言い方で、飼い主の勝手な都合であっても愛犬はそれに会わせられてしまいます。そもそもペットというものは飼い主の「言いなり」であって「可愛らしい」存在であって欲しいと願う飼い主の気持ちはわからないでもありませんが、一寸の虫にも五分の魂であって、飼い主の勝手に振り回されてはワンちゃんが納得しません。

 自他ともに認める愛犬家も自分だけで愛犬家と思っている愛犬家も、愛犬家はとにかくこまめに面倒をみて十分に可愛がりますから、恩義を感じるかどうかまではわからなくても誰よりも慣れ親しんでくれているはずの愛犬は、誰よりも慕ってくれているに違いないと固く信じています。そして、ときに愛されているように感じていることもあるように思われます。飼い主に忠実で、どんなことにでもイヤな顔をせず律義に従っていてくれていて、その健気さには目頭が熱くなる思いがしていると思っているのではないでしょうか。このような愛情と信頼の絆で結ばれた麗しい関係で、飼い主が導き愛犬がそれに従い“夫唱婦随”のパートナーのように日々の生活に潤いと幸せを感じているのは飼い主の思い込みによるもので、その関係に客観的な正確さを厳しく求めると、愛犬が導き飼い主がそれに従っているというような正反対なことも時に少なからず存在します。

 それは主に指導性と支配性の強いワンちゃんと、ひたすら“盲愛”の飼い主とが一緒に暮らしたときに起こる現象です。強引に撫でさせられているとか、いつまでも撫でさせられているとか、ダイエットさせなければと思いつつも要求されて与えてしまっているとか、このような場合には「支配」されている可能性が大きいのです。無邪気な顔と可愛い仕種でおねだりされてしまうと、少々の我慢をしても望むことに応じてあげたいと思ってしまう飼い主は、いつの間にか、「している」つもりが「させられてしまう」ことになってしまうのです。

 

 支配癖の行動変容

 

 カナダやアラスカなど北極圏でソリを引いて活躍しているマラミュートやハスキーなど、あるいはオーストラリアの再野生犬ディンゴなどの生態から「群れ社会の上下関係」を知ることができ、群れを支配し統率するリーダー犬とそれに従う犬たちを知ることができますが、わが家の愛犬やご近所のワンちゃんからはとても“同じ犬類”として結びつけて考えることができないと思うのは誰も一致した印象でしょう。しかし、それはしっかりと遺伝子情報の一つとして継ぎ伝えられてきているのです。お父さんの指示には従う、お母さんは餌を与えるときのみ、小さな子供はからかわれて時に泣かされてしまうということから、無邪気な顔をして可愛い仕種のワンちゃんでも群れ社会以来の伝統をしっかりと受け継いでいることがわかります。

 散歩に出るときに先にドアから出ようとしますか?夜寝る時刻になって各自が自室に去り、独り居間に残されると(またはハウスさせられると)機嫌が悪くなりますか?誰かと仲良くすると嫉妬の徴候を示しますか?たくさん撫でてもらいたがるので、いつでもそれに応えてやりますか?他の人を好むふうを示すと不愉快になりますか?こういった質問に「ハイ」と答える飼い主と、愛犬の関係は「主従逆転」と言える状況にあります。飼い主が愛犬の愛情に応えてあげたいとする気持ちは当然ですが、このままエスカレートしたときを考えると深刻です。持て余し、手に負えなくなった時は悲惨です。飼ってくれる人なら誰でもよいとの考えで貰い手を探したり、訓練所へ預け放しにしてしまうことになると不幸です。

 ここでも「優しい愛情」と「厳しい愛情」とがほどよく必要で、人間の子供を育てるときと同じことです。問題は、愛情の表現の時と長さを飼い主が決めるのか、ワンちゃんが決めるのかということです。マルチーズやポメラニアンのように小型で軽く片手でヒョイと持ち上げられるようなワンちゃんだったら、有無を言わせずハウスさせてしまうこともできますから、どんなであっても心配ないと思うかもしれませんが、来客のあるたびに無理やりハウスさせたり、食事時には隣室に閉じ込めなければならないというのでは、これもまた面倒なことです。好ましくない行動は「やらせない」ということで、放置してやらせてしまえば認めていることになります。無理は「長続き」しませんから、応じてあげられなくなることを考えて「してあげ過ぎない」ことです。

 愛情表現の交流は、飼い主が「心づもり」をもって“TPO”に則した「節度」を持ちませんと、ついには飼い主が音を上げることになります。ワンちゃんは指示をうけてその「作業」に従事している間も「可愛がって」もらえると感じます。「相手にしてもらえている」と感じられるだけで、「愛されている」と思います。「愛情」を求めて近寄ってきたら、先手必勝ですから先制攻撃をかけて「マテ、スワレ、ステイ(できたら作業)、そしてグート(賞賛)」をして、それ以上を望まず満足するようになってもらいます。

 やってみれば意外に簡単です。方針を持たずにただ「攻撃に応酬する」だけでは、消耗するだけでラチはあきません。後手後手ではただ疲れさせられるだけで、勝利のチャンスはまったくありません。(つづく)

 

 

 

 

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