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テレビの番組や新聞の紙面に、「心理判断」や「心理ゲーム」に類するようなものがよく目につきます。若い女性を対象にした雑誌などには必ずと言ってよいほどそれらがあり、「性格」を診断し将来を予測して、科学的な「占い」となって若い女性の不安に付き合っているようです。ほとんど遊びと言ってよいものですが、遊びと承知していても、つい真剣になってしまうこともあるようです。確かに、素敵な男性と出会って幸せな結婚をしようと考える女性にとっては真剣にならざるを得ないことなのでしょう。しかし心理学者たちは、「性格」という概念が曖昧で不確かなものとして、性格などというものは存在しないと過激な発言をする学者もいるほどです。否定してしまうほどでないにしても、大方の学者たちはそれを古い概念として前世紀の遺物ぐらいにしか見ていないのも確かです。
ゾウは団扇のようなもの、ゾウは柱のようなものという「群盲象を撫でる」の譬え話のように、優しい性格とか勤勉な性格とか言うことはできても、それはそういうこともできるということであって、その人にそういう一面があるということでしかないのです。ある人たちに優しくても、別な人たちには必ずしもそうとは限らないということですから、まるごとそうであるかのような言い方は避けるということなのでしょう。現代の心理学者たちは、性格という用語を「人格」とか「パーソナリティー」という用語におきかえて、正確に表現しようとしています。しかし人格という言い方には、人格者とか高潔な人格という言い方がだぶってしまい、ニュートラルであるはずの心理学用語に価値観が入りこんでしまうので、その用語としてパーソナリティーという言い方を浸透させようとしています。
なんと言っても心は「静的」なものではなく「動的」なものですから、平面に図示できるような「性格」よりは、時の流れと境遇の変化に反応し連動する心的特性を表現している「パーソナリティー」のほうが的していることは間違いないでしょう。しかし、日常では「性格」が一般的で、パーソナリティーは「人柄」といったふうなものに受け取られてしまっているようです。パーソナリティーが性格にとって変わるのにはまだ先のことでしょうが、それがなんと呼称されるかは別にして、昔から十人十色と言われている「個性」があることは確かです。個性とは心の働き、つまりは知性、感情、意思の表現方法が個々人によってみんな少しずつ違うことを言います。そしてその違いによって個々人の行動様式に当然ながら差がでます。
昔から十人十色と言われている個性も、極端に偏った場合には「パーソナリティー障害」とか「精神病質パーソナリティー」と呼ばれるものとなります。平均的な普通の人とはかけ離れた行動様式を持ち、自己顕示欲が旺盛すぎたり、意志薄弱すぎたりなど数種がありますが、「爆発的易恕性」などと言い突然怒りだしたり暴れ出すのは、その本人も困るでしょうし、周囲も困ります。十数年も前に精神神経医学会で精神病質という診断名が抹消されたときに、「それでも精神病質者はいる」と叫んだガリレオ・ガリレイのような精神病理学者のことがいまも語り草になっています。
ワンちゃんは散歩が大好きです。大好きな食餌を後回しにしても散歩に行きたいようですから、ワンちゃんの一番好きなことと言ってよいのではないでしょうか。散歩に付き合わされて面倒と感じている飼い主も少なくないと思いますが、考え方を変えて健康維持増進のための散歩にワンちゃんが付き合ってくれていると考えますと、健康維持増進のための努力が三日坊主にならなくてすみますし、ワンちゃんもこの上なく幸せです。散歩の途中で、よそのワンちゃんに出会ったときに、仲良しだったら近寄って交流しますし、出会った瞬間に荒々しく吠えられてしまうようだったら近寄らないというルールは自然発生的に存在していますが、初対面でお互いに仲良しそうに近寄って、しばらく臭いを嗅ぎ合って、突然ケンカになってしまうのは困りものです。
なるべくワンちゃん同士に交流させてあげたいと思う反面、荒々しくて恐ろしい野生むき出しの闘争を見せつけられるのも耐えられません。ワンちゃん同士が仲良く交流し、ケンカなどしないでいてくれるのを望む飼い主は健全な精神の持ち主と言えますが、ときにそうでない飼い主もいるようです。けしかけて、その残虐さにスリルを感じたり、“いじめ”を楽しんで憤懣を解消しているように思えてしまいますが、そういった飼い主に飼われているワンちゃんは気の毒でなりません。ここ数年はゴールデンやハスキーに人気があって、中型犬でも“大型犬ブーム”と言われていますが、全体の平均で比較するとイヌはネコよりも小型軽量化していると言われています。
確かに散歩をしていても柴犬ぐらいの大きさよりも小さいイヌが多く、マルチーズやポメラニアンが抱っこされて散歩(?)している光景も少なからず見られるので、散歩中のワンちゃん同士のケンカはほとんど見られません。しかし、時折見かけるのは、ワンちゃんの扱いと体力に自身のない大人や子供の咄嗟の対処が不適切で、恐怖感から感情的に手ひどく追い払おうとすると、飼い犬の縄張り意識を強く刺激して、闘争心を奨励してしまっていることになってしまうのです。また不慮の出来事として、他のイヌから攻撃されたようなことが過去にありますと、その被害経験が他のすべてのイヌに対して過大で不必要な攻撃性を持つことが認められています。
同じ家庭内に2匹以上のワンちゃんが飼われている場合は、成熟してくると序列闘争が起きます。特に同腹であるとか同性であるときにこの傾向がは強まり、成犬と子犬の組み合わせでも子犬が成犬になったときに支配性が強いと逆転を狙う抗争が起きます。同一家庭内の争いの場合に、飼い主が険悪な雰囲気に驚いて2匹を引き離し、感情的に叱責し体罰を与えたために、事態をエスカレートさせ、「真の闘争」にしてしまうのです。この場合の飼い主の対応は至極あたりまえですが、その結果は2匹の間の敵意を増大させてしまう恐れが多分にあります。そして飼い主が片方を叱れば他の一方は強力な味方を得たと思い込み勢いづいて攻撃しようと思うでしょう。単に叱るだけでも、この反応を引き起こしてしまいます。相性が悪いと思っていても、飼い主がそうさせているのかも知れません。
オオカミやディンゴなど野生の群れ社会には、それぞれが役割を持ち、それに基づき確実に果たさねばならない仕事があります。すなわち狩猟というのはたいへん組織化されたものですから、群れの存亡は各々がうまく任務を果たすことにかかっています。構成員の負傷とか死亡は群れ全体に危機をもたらします。そのために、この社会では生死をかける“本気の争い”よりも、むしろ行動による意思表示により平和と秩序が守られるのです。これは一種の儀式とも言うべきで、上位が下位を威嚇で脅かし、下位は頭を下げ上目遣いで恭順の態度を示します。時に異議があるかのように歯をむくこともあります。また、ひっくり返って転がったり、小便をもらしたり、尻尾を下げて走り去ることもあります。このようにして怪我もなく、これらの儀式が調和を保っているのです。
ケンカが大好きなワンちゃんの行動変容は、そのワンちゃんと野生犬の群れ社会に入れるか、家庭を野生犬の群れ社会のように変えなければならないというのではありません。まず、ワンちゃんは野生の生活に1日も耐えられないでしょうし、家庭を非文明化するよりワンちゃんを人間的にするほうがはるかに容易で効果があるからです。たまたま散歩中に出くわしてしまうケンカの対処法と、家庭内の複数犬のケンカの対処法は基本的には同じで、対処法というよりは予防法というものです。この方法で平和と満足を取り戻すまでには1〜2カ月はかかると言われていますが、その間にケンカを起こさせないほうがよいので、その懸念があるときには、個別のケージにハウスさせておくことも考慮すべきでしょう。
ケンカが大好きなワンちゃんの行動変容を思い立ったら、まず、家長であるお父さんが望ましいのですが、家族のうちで少なくとも一人がワンちゃんたちに首尾一貫した接し方をして、信頼を得るように心がけて欲しいのです。そして、散歩してあげる人と食餌をあげる人は、特にこの点を心得ているようにしていて欲しいのです。ワンちゃんは飼い主家族を自分が所属する「群れ」と思い、自分より上位のものと下位のものと明らかに位置づけします。優しいだけの大人とむちゃくちゃな子供は下位にされてしまうことになり、ワンちゃんに支配されて従わないと威嚇されることになります。これは好ましいことではありませんので、動物行動の専門家に指導を受けるか、ワンちゃんとあまりかかわりをもたないようにしたほうがよいでしょう。
ワンちゃんがスキンシップを求め、撫でて欲しいと近づいたら、すぐに応じてしまう優しさは仇となります。「マテ」でも「ステイ」でも、できれば「作業」をさせた後に「グート」と言って撫でてあげましょう。ここまできたら、ケンカ癖の矯正にとりかかる時期です。フェンスかガラス戸を隔てて対面させるか、リードをつけて飛びかかれない距離で対面させましょう。互いに臭いを嗅ぎあった後に友好的雰囲気のままであれば好ましい状況と言えますが、険悪な雰囲気となり、一触即発の状態となったら、前々号でご紹介したジャズダンスか阿波踊りのようなもので、「その気」をなくさせてしまえばよいのです。
ワンちゃんは一緒に飛び跳ねたり走るのは大好きです。ボール好きだったら、それをチラつかせるのもよいでしょう。楽しく遊びに乗ってくれたら習慣化させるだけです。 (つづく)
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