一私立精神衛生相談室一年の歩み |
クリニカル・サイコロジスト(以下 C.P.)が相談室やクリニックで行う外来精神療法をC.P.の行う臨床活動の一つの大きな柱であると考え、それを志向する者の数は多くにのぼるものと思われる。しかし実際には官公庁や民間病院、企業等の枠の中におさまることにより始めて臨床活動が可能なのが現状である。その不自由さの中でC.P.は自己のアイデンティティ確立に日々苦闘している一方、志向するところのこの自立した心理臨床活動の可能性について思索する者の数も多いものと思われる。しかしながら実践を既存の施設外にもとめるとなると、まず第一に経済的問題が障害となり、その試みをも妨げている。
筆者らは数年前から外来精神療法実践の場を求めていたが、ある切掛けからその場の無償貸与をうけられたことにより経済的存立要件を余り配慮しなくてもよい好条件でスタートすることができた。そしてその開設場所は都心の交通至便なところであり、ビルの二階にあって出入口階段、手洗所が他とは別に独立していて、来談を容易にする配慮があった。また面接室、待合室等の部屋数も充分なものであった。
本報告は開設した昭和51年10月21日から、閉鎖した昭和52年12月25日までの約一ヵ年余の臨床活動についての報告である。この活動報告はある意味においては現実から遊離しているかも知れないが、純粋に今日の我国における非医師による精神衛生機関の活動の可能性を探った記録として発表するに足ると信ずるものである。
1.設立の目的
非医師による外来精神療法施設の社会的存在基盤を実験的に試みることにより、その可能性や問題点を追究するものである。
2.スタッフ
スタッフは著者を含め3名で、精神病院、精神衛生センター等にパート勤務をしており、3名のパート勤務日を調整することで乗じ1,2名が相談室に勤務していられるように していた。他のスタッフとして、研修生2名を含む6名が不定期に勤務した。研修生は精神衛生学を専攻する大学院生であり、臨床実習の意味あいがもたせてあった。他の4名は精神病院、保健所等に勤務する者で、かねてから私的な面接場所をもとめていた者たちである。
スーパーバイザーはC.P.、メンタルヘルスワーカー、精神科医師の3名であり、不定期ではあったが相談室内にてケースカンファレンスを持った。また各自が個々にスーパービジョンを受けた。
開設から昭和52年4月までの約半年間は当初の予定通り機能したが、著者をのぞく2名のスタッフの就職が決り、相談室との兼務が困難となり以後、常時開室ができなくなり、定期的な開室は週の半分となってしまった。
3.相談時間
相談時間は午後1時から9時までとし、日曜日も開室することで時間外来談者の便宜を計った。
4.相談料金
相談室開設が実験的試みであることから、相談料は営利を目的としていないことと、精神療法的意味あいとを来談者の負担力とに勘案し、原則として「2千円」または「千円」とし例外として「無料」とした。
公立病院での相談料は有料の場合「千円」ないし「2千円」であり、私立病院、クリニック等では「5千円」ないし「6千円」が多く、例外的には「1万円」程度のクリニックもみられるようである。
来談者で支払能力のある者からは「3千円」という額が程示されることが多いようであるが、その額が妥当と感じる理由の中に「3」という数字を単に好むということもあるようである。そして相談料収入は使用料として場所の提供者へ納入した。
5.広告・宣伝
この試みでは紹介者を介する来談者を対象とすることを原則とし、いっさいの広告・宣伝は行わなかった。その理由は、広告・宣伝することによって予定外の来談者の数に対応しきれなくなることを未然に防ぐ意味と、数に追われて充分な治療が行えず、事故につながる過失を犯さぬための配慮からであった。
約一ヶ年の開設期間中に来室した相談者は26名で、以下の如である。
来談者 初診/(紹介者) 相談理由
転帰/(年・月・日) 担当者 面接回数
(1)T.Y.16才♂ S
51.11.2 両親来室 「コンパニオン活動」* へ紹介
軽快(S52.2.10)
高校生 不潔恐怖・登校拒否 O 2
(2)K.K.25才
事務員 S 51.11.8 退院后外来受診中。
Drの多忙に不満、
愚痴をきいてほしい。 再入院(S
52.4.7.) S 9
(3)H.T.15才♂
中学生 S 51.12.3
(非医師) 我儘で乱暴、受験を
ひかえても勉強しない。 高校を受験することが
でき、合格
(S52.3.5)O・F 4
(4)T.T.13才♂
中学生 S 51.12.10
(非医師) 我儘で乱暴 登校拒否 転校(S
51.1.15) F 2
(5)T.T.37才♂
クリーニング店員 S 51.12.17
(医 師) アルコール依存。
退院后のアフターケア 多忙を理由に来室
しなくなり中断
(S52.3.5) O 3
(6)T.O.48才♂
無職 S 51.12.22
(医 師) アルコール依存。不安感に
悩む。退院后のアフターケア 再入院
(S 52.1.21) O 4
(7)M.U.18才♀
ウエイトレス S51.11.9
(医
師) 非行、薬物依存 「コンパニオン活動」へ
紹介 軽減
(S52.3.6) O 1
(8)F.O.33才♀
看護婦 S51.12.28 被害感が強く、
妄想様思考。 薬物療法の要がでて、精神
科外来へ紹介(S52.4.15) O・N 6
(9)T.N.22才♂
大学生 S51.12.25
(医
師) 対人恐怖 大学院合格、すべてに
順調(S52.10.13) H 12
(10)H.Y.25才♂
銀行員 S52.1.6
(非医師) 対人緊張・不安感 軽減 (S
12.15) N 18
(11)A.Y.54才♀
主婦 S52.1.7
(医 師) 転倒を恐れる
ヒステリーてんかん 軽減 (S
52.5.14) O・N 12
(12)E.G.33才♂
無職 S52.1.10 両親来室。強制的に
入院さっせたがる。
心身症、暴行 働きかけを拒絶、来室しなく
なり中断(S
52.2.1) T・O 3
(13)K.I.14才♂
中学生 S52.1.23
(非医師) 被害感強く、両親は
精神病を疑う。 被害感消失(S
52.2.4) F・O 1
(14)K. 35才♂
無職 S52.2.12
(医師) 妻来室、分裂病の疑い
治療をうけさせたい。 働きかけを拒絶、来室の
すすめにも応ぜず(S52.3.3) O 1
(15)M.S.17才♂
高校生 S52.2.24
(非医師) 女装しロックバンド、勉
強せず薬物嗜癖の疑い。 「コンパニオン活動」へ
紹介(継続中) N 1
(16)H.Y.13才♂
中学生 S52.2.24
(非医師) 自室にとじこもり奇行。
登校拒否 「コンパニオン活動」へ紹介
(継続中) N 1
(17)R.O.48才♀
教諭 S52.2.25
(非医師) 被害妄想があり家族暴行の
娘を入院させたいができない 不安軽減(S
52.3.31)H・N 2
(18)S.K.45才♀
主婦 S52.3.3
(非医師) 息子の家庭教師に恋愛感情
性の衝動にかられ苦しい 夫と和解。初めて夫婦の
実感がもてる(S52.11.17)N 15
(19)Y.A.19才♀
高校生 S52.3.4 母来室。対人恐怖で登校拒否。
精神病を疑う。 来室せず。 O 1
(20)T.I.62才♀
無職 S52.4.23 嫁に無視され不要の存在
と感じ不眠に悩む。 嫁姑問題にはふれず精神科
外来へ、不眠解消(S52.5.10) N 2
(21)E.Y.31才♀
無職 S52.6.14 M.D.I退院后、母との暮らしに
緊張を高め、再発を恐れる。 母を治療してほしい。
母は来室を拒否、再入院
(S
52.6.24) N 1
(22)N.O.26才♀
家事手伝い S52.4.9
(非医師) 自我漏洩感、被害念慮。
分裂病の疑い。 4.11〜7.8精神科入院
軽
快(S 52.12.24) N 17
(23)S.I.63才♀
事務員 S52.7.23 対人恐怖でとじこもりの息子を
入院させたい。分裂病の疑い。 働きかけを拒絶、来室
せず中断。 N 1
(24)S.A.19才♂
大学受験生 S52.12.8
(非医師) 母と来室。自ら分裂病と診断し精神
療法を希望。母は無為を心配。 精神療法におもきをおく
精神科外来を紹介
(S
52.12.25) N 3
(25)M.E.32才♂
会社員 S52.10.13
(医
師) 母と二人ぐらし。母とのトラブルに
悩む。母はうつ状態で受診中。 軽
減 (S 52.11.16)H 2
(26)K.I.30才♂
無職 S52.9.12 兄弟来室。職を転々とし、住所の定まら
ぬ弟に精神病を疑い不安となる。 不安解消
(S 52.12.20)N 1
* 鉅鹿健吉:精神衛生活動における非医療的接近、コンパニオン活動提起。 季刊精神療法第2巻4号、1976参照。 なお面接回数とは別に、関りとして電話、手紙、家庭訪問が適宜行われた。
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来談した者の中に医師またはC.P.、P.S.W.等非医師の紹介「みたて」を受けて来室した者(17例)と非専門家の紹介または紹介者なしで来室した者(9例)とがあった。
1. 医師に紹介されて来室した者
退院するアルコール症患者のアフターケアとして、心理的依存の精神療法を依頼してきたもの(事例5,6)。
病院へ行ったら入院させられてしまう恐れから妻に「薬もらい」に行かせ、自らの受診を拒否している患者に精神療法的接近を試みてほしいと依頼してきたもの
(事例14)。
また、薬物療法よりも精神療法の方がより効果的であろうとの判断のもとに依頼されてきたもの(事例7,9,11,25)がある。
2. 非医師に紹介されて来室した者
薬物療法中心の入院治療に不満をいだくなど、医療に不信感をもつ患者への非医療機関(非医師)の治療的役割を期待して依頼してきたもの(事例24)。
スタッフが得意とするもので、治療上適して好都合であろうとの判断のもとに依頼してきたもの(事例10,18,22)。
問題行動のある少年が受診を拒否する、家庭教師的側面を必要とするなどの理由から「コンパニオン活動」を期待して依頼してきたもの(事例15,16)。
また、経験が乏しくとも扱えるとして、研修生の訓練のために紹介してきたもの(事例3,4,13)がある。
3. 紹介者なしに直接来室した者
受験生を娘にもつ母親が相談室の近くにある予備校へ願書をもらいに来た帰りに相談室の看板をたまたま見かけて来室したもの、いわゆる「とび込み」(事例19、類似例26)。
スタッフの知人から紹介されたと、家庭内葛藤に苦しみ不眠を訴える母を連れて来室したもの、いわゆる「くちこみ」(事例20、類似例1,23)。
また、スタッフが勤務する病院等で関りをもち、相談室で扱う方が治療上好都合と判断して来室させたもの、いわゆる「もちこみ」(事例2,8,12,21)。
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本人と子供 |
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1. いわゆる「本人」と「家族」について
来談者自身が精神衛生上問題があるとの自覚を持ち、自分自身の治療を求める「本人」と、来談者の持つ精神衛生上の問題は家族の中に治療を必要とする者がいることであり、その者に治療を受けさせることで解決したいと考えている者、すなわち「家族」とがいる。また「家族」が治療を受けさせたいと思っている者を「本人」と呼ぶことがあるが、その「本人」は来室せず「家族」のみが来談し、その「家族」にも治療が必要な場合がある時には非常な困難が伴い「家族」の治療拒否によって中断する場合がある(事例12)。
また自分自身に治療を求める「本人」の中には、その「家族」にも治療を求める場合があり(事例21)、また治療者が必要と考える場合があるが、「家族」に治療的な働きかけを行うのは同様に困難である。
2. インテイク面接の諸相
次にこの種の施設の活動状況を示すために来談者とその動機をいくつかのインテイク面接例をもって示す。
45才の会社重役の妻は、娘の病気は「母親の養育態度に問題がある」といわれたショック以来自分を知りたいと苦悩し、大学の聴講生となり心理学を学んだ。無意識に激しい攻撃性があることに驚き、精神分析を受けたいと思ったが、大学の先生は取り合ってくれず、精神科を受診しても取り合ってくれないだろうからと来室、「日本にもこの様な所ができたんですね」と感激する(事例18)。
精神病院を退院した48才のアルコール症の患者は「先生がここへ通えば毎週薬もらいに来なくてもよいといったから」と碁会所へでも通うかのように来室した(事例6)。
26才の未婚の女性は被害感、自我漏洩感の苦しみを訴えながらも、友人を訪ねるような気軽な気持で、一人で来室した(事例22)。
夫に伴われて来室した54才の主婦は「転倒」を恐れ外出できずにいたが、医師から精神療法以外に有効な治療法はないといわれたと、いかに自分の病気は難病であるかを説明しようとよく喋るが、夫はただボデーガードのように黙りこんで坐っていた(事例11)。
母を連れて来室した19才の受験生は、「うつ病」と診断されて入院中だが退院したいという。「医師は点滴20本で治るといったが、前回入院の時も同じことを言った。薬では根本的には治らない、自分では分裂病のヘベフレニーではないかと思っている」という。
母は小声で「受験なんだから勉強してほしいし、体をこわしてはこまるから運動もしてほしい」というが、ほとんど黙ったまま息子の話にうなづいていた(事例24)。
長男夫婦と次男に連れられて来室した62才の隠居した女性は、「不要な存在となってしまい、生甲斐を失った」と軽うつ状態にあり、不眠を訴える。別居している長男の嫁はしきりと同居している次男の嫁がいかに嫁としての務めを果たしていないかを語る。家庭医から薬をもらっているが効果ない、ただ眠れさえすればどんなことにも我慢できるという(事例20)。
子供が我儘で親に暴力をふるい、神経症状をもち登校拒否をしている。親は常軌を逸した言動に精神病を疑い、病院や教育相談所を訪れた。しかし「本人」を連れて来るようにと必ずいわれ、それに「本人」が素直に応じるようであれば、こんなに苦しんでは来ないとこぼす(事例1)。
長男、三・四男が来室。30才になる次男が定職につかず住所も定まらず、時にはルンペンのような生活をしているという。しかし口では実現の可能性がまったく無いようなことを言っているという。兄弟4人とも中卒後集団就職で上京したが、次男以外はまじめに働き家庭を持ち長男は家を建て母を呼び寄せ面倒をみているという。しかし次男は「大学を出ていなくては良い職には就けない」といって、定時制高校に通わせてもらえる所に移るといって転職して以来、定職に就くことも無く今日に至っているという。まともになってほしいがどうしたらよいのか、精神病ではないかと心配になるという(事例26)。
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「コンパニオン動」 |
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表で示すように総計26例のうち、他の施設ないし治療にゆだねるべく紹介したものは4例、「コンパニオン活動」にゆだねたものは4例である。当室でカウンセリングを行ったのはのこる19例のうち、治療成功例と失敗例の割合はほぼ半々であった。
次にそのうちのいくつかの事例を簡単に記す。
入院の必要の生じた事例は地方から上京し来室した26才の女性で、インテイク面接の時は治療者を信用できるかどうか試しているような態度でほとんど喋らず、核心に触れるような話はせずに帰る。第2回目の面接時間が終る頃になってようやく核心に触れる話を始め、話が進むにつれて自我漏洩感、被害感が強くなり往来の人が恐いと部屋から出られなくなってしまったので、入院治療が必要と説得しつつ入院治療を引き受けてくれる病院を捜し、納得させ、その日のうちに入院させた(事例22)。
精神科外来を紹介した事例はいずれも「薬は効かない、薬では治らない」とか「病院へ行っても3分診療では碌に話しもできない」等、当初は精神医療に不満を持った者たちであった。しかし面接を進めるうちに、本人の心理的葛藤である嫁姑問題に触れるよりも不眠感をとりさるのが第一と判断し、納得させて受診させた(事例20)。
働きかけの効果が及ばず来室が中断してしまった「失敗」の事例は、両親が来室し、33才の息子が気管支喘息で薬物を常用しその為か親に暴力を振い、危なくて仕方ないから入院させてほしいという。そこで両親に定期的に来室してもらうこととスタッフが自宅へ訪問する「複合治療」を進めようとしたが、3回目の来談で夫婦間の葛藤が顕著となり来室しなくなり、自宅への訪問も断られてしまった(事例12)。
治療が終結し好結果が得られたと思える「成功」の事例は、54才の主婦。隠し続けてきた「内縁」とう秘密を、面接10回目にしてようやく口にすることができ不安は軽減、発作は起らなくなった。夫婦が互いにもっていた「こだわり」をとりされるように調整し、入籍する頃には一人で自由に外出できるようになっていた(事例11)。
このような非医療的民間精神衛生相談施設にふさわしいと思われた2例として報告する。
1. 「教育分析」を受けたいとして来室した事例(事例18)。
45才の主婦。息子を盲愛し、依存癖の強い子供に育ててしまった。しかしそう思いながらも、その盲愛ぶりは変らず、さらに息子の家庭教師の学生をも息子以上にかわいがってしまっている。しかし息子の高校が決まって家庭教師も来なくなると思ったら、もう面倒もみてあげられなくなると無性に離しがたくなったという。ところがその気持に隠されて「性の欲望」があることに気づき、自分自身に恐ろしさを感じた。しかも恐ろしく思いながらも学生への思いは変らず、なぜこんなに「愛情のエネルギー」が強いのだろうと精神分析してもらいたく、またボランティアの相談活動に加わるつもりでいるので、「教育分析」を受ければ相談活動をやる上で役立つと思い、おねがいしたいと思っているという。
結婚して20年、夫は47才で大手企業の営業担当重役。長女は19才で医学部受験のため勉強中、将来精神科医を志望しているとのこと。長男は15才で私立高校に合格したところという。8年前、小学生だった娘が「小児自閉症」と診断され、母親である自分に問題があるといわれてショックを受けた。それから心理学に興味をもち「心理カウンセリング」を受けたところ「激しい攻撃性を抑圧している」との指摘をうけたという。このことから今までの自分は、ただ夫の期待通りになろうと努力する人間だったことに気づき、本来の自分は甘えん坊だったはずだと思ったら開放された自由な気分になり、抑えようとする気持が無くなってしまったという。
夫のような古い世代には共感が得られず、息子の家庭教師と共感が得られた時は、まだ若さを失っていない自分に喜びを感じ、娘や友人から「仲良くしすぎる」と指摘されても改める気持になれなかったという。しかし心の喜びだけでは満足しきれない自分に気づいた時には、この先に不安をおぼえたと涙をこぼしながらも淡々とかたる。ところが学生と家の外で逢うようになってからは家事に精を出すようになり、夫にもこまめに尽くしてやれるようになったので、かえってこの方がうまく行くのではないかと思っているともいう。
本来甘えん坊だったとうのに、なぜ夫の期待通りの妻になろうと自らしたのかたずねると、はっとした表情をし、すべてを話さなければいけないのですねと前置し、恋愛結婚で甘えさせてくれそうだったから結婚したのに、結婚第一日目に夫からきっぱりと「母と弟妹の生活をみなければならない義務がある、理解してほしい」といわれ、わずかな生活費をわたされ厳しい生活を強いられた。しかし夫のしていることは親孝行なので文句はつけられずにいて、せめて自分の母にもわずかでよいから何かしてやってほしいと思っていた矢先、夫の母から家を建ててほしいと無理な要求が出され、自分たちでさえ借家住いで苦しい生活をしているのだから、夫は義母に我慢するよういうかと思ったが、当然のことのように借金までして家を建ててやった。
この物心両方の苦しみに堪えるのが貞淑な妻とよんでもらえることなのだろうと自分にいいきかせ、自分の中の夫に対するすべての甘えを否定したという。夫は仕事一筋でエリートコースを歩み社会的地位を得て、経済的にも人並み以上のものを得たが、夫婦の間は変ることなくただ女中としての価値しか認められていないと感ずる生活を過し、あと数年でこのまま女としての人生を終ると思ったら惨めでならないという。夫に何を望むかたずねると、「夫が身につけるものを一緒に買いに行って選んであげたい」「夫と一緒に手をつないで散歩がしたい」という。
本当は夫を愛しているのだねというと、一瞬意外な顔をし、それからどっと泣き笑いの表情となり、「本当は愛していたんです。しかし夫は必要とはしてくれてない」といって涙をこぼす。夫に対して徐々に我侭を出すようにすすめると、「夫に意地を張りつづけていると思っていたが、いつのまにか『いじけて』しまっていたのです。夫にいいたくても口に出せないんです」という。
手段として夫に「苦笑」させる努力をすすめると、「苦笑」のたびに効果があらわれ、夫から思いやりを感じられるようになったといい、あの夫がと思うほどの変りようだという。この間に2度大喧嘩をしたが、これを契機として互いに解り合え、初めて夫婦としての実感がもてたという。夫は夫婦で生活を楽しむことが嫌いだったのではなく、自ら遊ぶことを知らなかったのです。勇気を出して誘ってみたら、子供のように喜びました。夫を買被っていて夫の弱点に気づかずにいたのですと笑いながら「スーパーマンのアキレス腱」に気づかなかったのですという。
そして、20年間の重荷がやっと降ろせた気分です、夫にいわれるまでもなく義母を田舎から呼びよせ一緒に生活するつもりでいますという。最後に、どうしても口に出せなかったことだが、学生と性交渉がありましたと告白する。しかし彼は夫とやり直すエネルギーを引き出してくれたのです。誰にも語ることなく「心の中の宝物」にしますといって帰る。
2.「心の中を探られたくないが治療してほしい」といって来室した事例(事例10)。
24才の独身男性。東京近県に両親・弟と住み、都内へ通勤する銀行員。対人緊張と不安感を訴え、「貸付係をしているが接客中口がまわらなくなり何を言っているのか判らなくなる。朝礼や会議で司会をさせられるのがつらい」という。今まで「話し方教室」や「睡眠療法」をすすめられたが、期待する効果は得られるとは思えず、神経科へ行こうと思ったが母が厭がるので行きたくないという。
学生の頃から卒業するまでの間大学病院の心理の先生から分析的な治療をうけた。そのおかげで卒業し就職できたようなものだから、また治療を受けたい気持もあるが、また病院へかかる気にはなれないし、もうこれ以上心の中を探られたくないので、この相談室を紹介してもらったという。
行動療法の自律訓練法について説明すると、ぜひその方法をやってほしいという。過去のできごとや生育歴につては触れないかわりに現在の悩みは聞かせてもらうこととし、自律訓練とカウンセリングを伴用することで治療を始めた。自律訓練を3ヶ月ほど続け、「自ら努力している感じが得られて嬉しい、だいぶ効果がでて楽になった」というが、初めの2ヶ月ほどの努力が感じられないので、自律訓練の限界と判断し、習得した自律訓練法は職場や自宅で適宜やるものとして、精神療法を中心に置き換えた。しかし予想したほどの抵抗はなく、逐次生育歴、生活歴についてかたった。
昭和26年東京生れ、小学校から埼玉県に移り受験校として有名な中学、高校へと進んだ。高校3年の受験準備中「異常体験」をもち学校へ通学できなくなり、そのために一年浪人をした。大学病院の神経科を受診し「境界例」と診断され薬物療法と精神療法をうけ、のち大学を卒業するまで精神療法を受けたという。友人や職場の人間関係について聞いていくうちに、女性との関りのもち方に問題のあることが明らかとなった。好意を示して近づいてくる女性には厭気を感じてしまい、クールな女性には安心して好意をもてるというので、さらに質問をつづけると以下のようなエピソードを告白する。
職場の同僚から童貞であることをからかわれ、一緒に「トルコ風呂」へ連れて行ってもらったが、激痛のため交渉がもてなかったこととその場で女性から包茎であることを嘲笑されたことから、恋愛をしたいが恋愛できない心境で、女性を意識するとそのことが気になってしまっているという。包茎の悩みは以前からもっていたが、いままでこのことに触れられることが無かったので、自分から口にすることができなかったという。この身近かな悩みに触れられることなく、たしかにそうであろうと思えても直接自分と結びつかない解釈をされてしまうので、心理テストや分析的な治療は受けたくないと思ったという。
包茎手術を受ければ問題が解決されるとの期待をもっているので、手術を受けたからといっても必ずしも解決されるとは思えないと意見をいうと、しばらくの間不調感を訴えていた。そしてその間に薬局へ行って安定剤を買って飲んだが、効果よりも眠気が強くて仕事にならなかったという。なぜ精神科を受診して自分にあった処方をしてもらわないのか尋ねると、精神科へ行くと本物の病気のように思えていやだからという。であるなら病気は何かたずねると、すぐには返答できずにいたが、「女性から自分の弱点を見透かされるような気がして緊張していた」という。さらに「恋愛したくても自信がもてず悩んでいたのに弟が先に婚約してしまった。
弟は自分が入りたかった大学へ入ってしまい、自分の銀行より良い銀行に就職した。弟に先を越されたくない気持があったわけではないが、弟の婚約にショックを受け焦らされた」という。一時は女性から注察され、噂をされているようで緊張するという病的な時期もあったようだが、「緊張するなと思う方が不自然だし、緊張しながらも無理のないところで頑張るしかないんですね」といい、「誰でもいきなり熟練者になれっこないのに、それを望んでいたんですね」と恥ずかしそうに笑う。
今ある緊張感と今までの緊張感とに程度の差はわずかであるにしても、この先どうなってしまうだろうという恐怖を伴った緊張感から、あって当然と思える緊張感へと質的変化をしたようである。
この一ヶ年余の試みの中でいろいろ経験し、考えさせられることが多かった。あらかじめ予想された事態を現実にどう対処するかを経験したと同時に、まったく未知との遭遇に機を逃さずに意志決定するという貴重な経験をした。意志決定に手間どり対応が後手となり、重大な過失を犯す恐れを感じ緊張させられた場面をも経験した。
当初「精神衛生相談室」の看板をみて、どのような人がどのような相談をもちかけてくるかに興味があり、広告、宣伝についても検討し、夜間、日曜日をも相談時間にした意図の中に「アロケーション・センターとしての相談室」をも盛り込もうとしたが、インテイク面接時の診断「みたて」の重要さにくらべスタッフの数の上からも充分対応できるものではないため、来室する前に専門家の診断「みたて」を受けて、それによって紹介されて来るようシステムを組んだ。
それでもなお直接来室する者や非専門家から紹介されて来る者があり、診断「みたて」の重要さを痛感すると同時に医療機関との連携を円滑にしておく必要性を感じた。さらにアクティングアウトによる緊急事態には、公的系統に従ってすみやかに入院方向づける手段をとらなくてはならないことを感じた。しかしその為にかなりの時間を費やさねばならず、相談の予約制維持に支障をきたす場合もありうるので、あらかじめその配慮が必要である。
また来談者の治療への抵抗に、その対処の不備から来談拒否、来室中断を幾例か経験したが、特に家族治療を考える上で、今後一層努力すべき点であることを感じた。
この試みで確証できたこととして、まず第一にあげられる点は「マス・プロ」に対する「手づくりの味」であろう。
公的医療、非医療機関の医師、非医師の専門家から紹介された時の意図からも、直接来室した相談者の意図からも、うかがい知ることができた。
病院等から依頼された、退院後のアフター・ケア、薬物療法を必要としない者への精神療法、また医療につなぐ為の援助、医療の効率を上げる為の側面援助などがある。
また単に精神医療がもつ過去のイメージやそれに対する差別や偏見からでなく、精神医療の対象の前段階にあって、治療的援助を求める者達へ窓口を開くことであり、非医療機関であっても様々な理由から、公立機関のサービスを敬遠する者達へ窓口を開くことである。
この様なことから、この種の施設が本格的に経営をなりたたせて存在させられうるか不明であっても、有料でも来談し治療的援助を求める社会的需要が存在していることが確認できた。そしてこの試みの意図である、非医師による外来精神療法施設の社会的存在基盤の一部を確認することができた。この試みで得られた結果から、今後の試みのあり方として、この社会的需要が施設を経済的にも成り立たせうるかを追究するつもりである。
非医師による外来精神療法施設の社会的存在基盤を実験的に試みることにより、その可能性を追究したが、公的医療、非医療機関の医師、非医師の専門家からの紹介意図から、また来談者から「マス・プロ」よりも「手づくりの味」を求める傾向が確認できた。
具体的には、退院後のアフターケア、薬物療法を必要としない者への精神療法、医療へつなぐための援助、医療の効率をあげるための側面援助であり、また医療の対象となる前段階にあって治療的援助を求める者達、公立機関を敬遠する者達への門戸を開くこととなり、有料でも来談し治療的援助を求める社会的需要が存在していることが確認できた。
(本論の作成にあたり、御指導・御校閲いただきました土居健郎教授、多くの御助言を下さいました逸見武光・佐藤倚男両助教授、並びに精神衛生学教室の諸氏、直接御指導下さいました精神衛生学教室助手細木照敏先生(現・日本大学心理学科教授)、そしてこの試みを一緒に担った鉅鹿健吉・大原富美夫両学兄に心から御礼申し上げます。)
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