激動の昭和
昭和ほど疾風怒涛の時代はなかった。世界情勢のうち続く激変に直面し国際協調か
大陸進出かの岐路にあって、うかつにも愚かな選択をした昭和日本は、
望まないままに破局にむけての選択を続けて行った。坂の上から転がり出した雪塊が、
誰にも止められなくなったようなものである。
清国が滅びたあとの中国は、近代国家を建設しようとする国民革命運動が盛んになって、
それがやがて満州や蒙古にまで及ぶであろうと危惧された。
日本の政界や軍部はその満蒙の危機を重大視し、日露戦争でえた特殊権益の地である満州を
すみやかに確保しようと画策した。ソビエト・ロシアの南進政策に対抗し、
中国国民革命運動の北上に先んじることが出来ると考えて、それを日本が引き続き
アジアの強国としてあるための生命線として位置づけたのである。
昭和4年の世界大恐慌に乗じて、間断なく世界の動きを注視していた日本陸軍は
国内の危機を外に転化し、国内政治に陸軍の力を及ぼす絶好のチャンス到来と見て取った。
南満州鉄道(満鉄)を警備する軍隊である関東軍によって、
昭和6年9月18日奉天郊外柳条湖において鉄道が爆破された。それを中国軍の謀略として、
自存自衛の為とする攻撃を開始した(満州事変)。そして、たちまち満州全土を制圧した。
昭和は謀略とともに始まる。清王朝の廃帝を担ぎ出して、昭和7年に満州国を擁立した。
世界の世論が侵略であると非難し独立国家として認めないことから、
栄光の孤立として国際連盟を脱退した。国際協調を主張した者たちは追い払われて、
昭和の悲劇が急加速した。
そのつむじ風のような歴史の流れの中に、うたかたのように浮遊する見果てぬ夢の満州があった。
軍事侵略の裏側で、純粋に大陸に、そして満州国に夢をかけた人々が大勢いたのである。
その人たちの希望や善意が軍に利用され、無残に挫折していったことも昭和の歴史の事実である。
戦後50年を記念して上演されたミュージカル李香蘭は、
激動の昭和史をもう一人の主役にしているので、ミュージカル李香蘭のあらすじを通して、
昭和という時代を新たな視点で紹介したい。
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