家つぎ息子と家つき娘

         

 海外旅行をする時には、夫と行くのが一番と世のご婦人方は言います。本当は気心の知れた女友だちと行くのが一番とも言います。当然のことながら長い旅の間は、ずーっと一緒に行動します。仲良しと一緒に旅を満喫したいのでしょうが、旅の後半になって疲れが溜まって来ますと、口に出せない不満が溜まってしまいます。そこで夫と一緒が一番ということになるのでしょうか。海外旅行に幾度も行っているA子さんは、いつもB子さんと一緒に行っているようです。その無二の親友であるB子さんと喧嘩をして、一緒に旅行に行けなくなってしまうと心配しています。気の毒で同情はしますが、この二人がなぜ喧嘩したのかの方が気になりました。

 A子さんの説明によると息子の縁談が進んでいて、婚約者の両親からの不愉快な"口出し"について話題にしたところ、B子さんが感情的になったのが発端だと言います。B子さんの娘さんもそろそろ適齢期なので他人事とは思えないのでしょうが、今の時代でもある程度は"嫁の親"としての分別はあって欲しいとA子さんは強調します。A子さんは舅と姑の世話をしていて、いまだに"嫁"と呼ばれています。ところがB子さんは夫の両親と同居したことはありません。"嫁"をしっかり経験したA子さんは息子に嫁を欲しがり、"嫁"であることを意識せずに済んて来たA子さんは娘をできるだけ"嫁"にしたがらないということなのでしょう。

 江戸・明治から昭和の前半ごろまでの"嫁"には、「足入れ婚」が象徴的に示すように人権への配慮はされていませんでした。そして、世間を知らないうちに嫁にもらえば、無理なく家風に染まってくれるという考えが一般的でした。こうした流れが主でも、嫁入り前に「奉公」に行くという習慣もありました。年季奉公は10年以上が普通だったようでしたから、20才半ばを過ぎてからの結婚となります。その間に世の中を十分知ることができ、嫁入り支度も整ったのです。嫁入り支度が整ったのと不十分なままでのとでは、嫁入り後の待遇に大きな影響があったのです。この習慣は実利を重んじる関西以西に多く、外聞を気にする関東に少なかったようです。

 嫁入りするような「入り婿」も足入れ婚のようなものばかりで、働き者か否かで評価され、"使いものにならない"と簡単に追い出されてしまいました。"コヌカ三合持ったら婿に行くな"との例えがあるように、収まりが良いのは「家つき娘」との結婚ぐらいでした。親が家業と家督を息子に譲ろうとするのは、生涯をかけて築いたものをわが分身に残したいと思う心情です。「家つぎ息子」を意に添うよう育てるのはそのためです。そして息子がいなければ、娘にと考えるのは当然です。

 しかし、親心であり人情であることは十分承知でも、家つき娘に入り婿の組み合わせは禍根を残すようです。夫婦で折り合いのつかない葛藤が子どもや周囲に影響を及ぼすことも少なくありません。家つぎ息子は社会性を身につける機会が与えられますが、家つき娘には社会性を身につける機会が与えられていないからです。 

 

 

 

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