バリ−鋳型からはみ出した嫁の心−

 

 鋳型からはみ出したものをバリと呼ぶようです。「家」という鋳型に押し込められて好みの形に変えられていた「嫁」が、昨今その鋳型に収まり切れなくなりバリ化しているとの言い方があります。かつては家長を頂点とする「家」を維持するために「嫁」という従順な存在が必要でした。三界に家は無く嫁して夫に従うよう、運命づけられていると信じ込まされていました。

 幸いにも、今や誰もが自分で選んだ道を歩んでいるよう思い、将来への夢を自由に育んでいるようです。しかし日本という国が「建て前社会」であることを、薄々ながらも気づいています。そして、学校を卒業して就職を考えた頃には、どうでも良いことには平等でも肝心なことには厳然とした差別が残っていることに気づかされます。

  そして女性の就職観は、結婚までの「腰かけ」でしかないと思わされていました。しかも突破口として期待された女性総合職に「ガラス張り天井」があることが明らかになり、つくづくと男性が既得権を守ろうとしてスクラムを組んでいることに気づかされます。女性が従順である社会構造を維持するために、人生に大きな意味を持つ「就職」と「結婚」には" ラチが開かない "ようになっているのです。

 共働き夫婦として家庭を持っても、家事労働は圧倒的に妻の負担となっていて、それが当然であるかのように黙認されています。それでも別世帯として独立していれば夫婦間の努力で改善が可能ですが、どちらかの親に「家族意識」が強くありますと「新たな我が子」として取り込もうとします。

 さらに、それが「うちの嫁が」と口にする姑だったら、味噌汁の濃い薄いまで合わせるよう求めます。「家例」や「家風」として些細なことにも馴染むように要求し、一人対家族全員という圧力で、熾烈さと執拗さはマインドコントロールや洗脳と何ら変わりません。かつてとは異なり、今や家という鋳型に嫁を押し込めたいとする本意は、老後の不安から、嫁を介護の担い手にしたいということでしょう。嫁という無償労働の専業主婦を無くし、介護も嫁のみの負担とならないような、社会のシステムを整備しなければならないでしょう。 

 

 

  

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