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私は20歳を過ぎた頃、ソシアル・ダンスを習ったことがあります。お酒とたばこをやれなければ一人前ではないと思い込んでいたのと同じように、ダンスを踊れないようでは一人前の男ではないと、ませた仲間のまとこしやかな一言を幸せへのパスポートのように思い込んでしまっていたのです。しかし、ダンスパーティでヒーローになるのと、素敵な女性と出会えるのとは別問題であると気づき、私のダンス熱はまたたくまに消鎮してしまいました。
私の友人の中には変わった者が多く、はなから別居を条件で結婚した者や、家を出たがっている女性の偽装結婚に籍を貸したり(むろん今は別の女性と結婚している)、離婚を待って結婚したりと切りがありません。 しかも共通して晩婚で、30才前後から40才前後ぐらいまでに結婚しましたが、なぜかもてない順から結婚したという印象がありました。その印象を確かにしてくれたのは、プレーボーイであることを自他共に認めるA君は未だに結婚せずにいるからです。
A君は学生ころ常に女性に取り巻かれていて、人気タレントのようでした。大学院の頃は研究室へお弁当を届けにきたり、食材持参で食事を作りにきた女性どうしがはちあわせするほどでした。そのA君はクールな美人を見ると猛然とアタックし、その女性がその気になると逃げ出すという性癖がありました。結婚などには興味はなく友達づきあいで満足してくれる女性、しかし、表面的には恋人のように振る舞ってくれる女性が好みのようでした。今は大学教授になっていて、自分の娘のような年齢の女子学生とクラスメイトのようなつきあいをしているようです。
時折デートをし、芝居を見た、食事をしたなどというので相手の女性は何者かと訊ねると、必ずと言っていいくらい既婚であったり婚約者がいたりします。そしてその女性の夫や婚約者は、たいがいA君の友人で「公認」だから心配無用とのことです。私は少々妙だと思いながらも、さして気にもとめずにおりました。ところが、ここ数年私のところに相談にくる30才前後の男性(10人に1人ぐらいは女性もおりますが)で「恋愛困難」「結婚困難」を訴える人たちに共通することで、さらにはA君に酷似しているところから、ある仮説が思い浮かびました。
好意を感じた女性にその気持ちを伝えられないのは、気が弱いためと思っている、あるいはその気持ちを受け入れてもらえなかったら恥ずかしい思いをするためと思っているが、実のところは「好意を受け入れて貰えることは分かっていても、自分がもつ好意よりも強い好意をもたれてしまったら」というためらいのようです。「友達づきあい」のつもりが「恋愛」となってしまい「恋愛」を望んだら「結婚」という話になってしまうのが怖いのです。自信がないので「予行演習」や「心の準備」のための「猶予期間」が欲しいのに、ぶっつけ「本番」を求められるような恐怖感が先に立ってしまうようです。
来談者の一人であるB君は食事に誘ったC子さんから「私が婚約したのを知ってデートに誘ってくれたのね」と言われたと言い、「もっと早くに誘えば、彼女と結婚できたのに」と残念がります。ソシアル・ダンスは、踊れない相手と踊るのはとても大変です。踊れない相手をリードできる迄になるにはかなりの努力を要します。私も踊りが上手な女性と踊った時に「なんの努力も要せずにこんなにも上手く踊れるものか」と驚いたものです。ダンスを踊れない男たちは何時までも、踊りたいといいながら「壁の花」をやり続けているようです。
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