アベノミクス効果で日本の景気が回復したとしても、豊さは
僅かな人たちのところに留まり、多くの人たちのところには届
かないでしょう。
かつて国民一億総中流という意識を抱いていた時代がありま
したが、気がつけば竹の子生活のようになり消費意欲は冷やさ
れています。内外から虎の子が狙われそれを死守しても、預金
封鎖と新円切り替えにでもなれば手も足も出ません。
あらゆる二極化が進行し、グローバル型とローカル型に二分
化されて行くことになるようです。アベノミクスの3本目の矢
としてのグローバル型産業を育成するために、全国の大学をグ
ローバル型とローカル型
にわけ、ほとんどをローカル型に分類
しました。
グローバル型は世界の一流大学と競争する大学であり、グロ
ーバルに競争できる高度な人材の養成を目標にします。日本の
大学卒業生の大部分は、ローカルなサービス業に就職するので、
高度な専門知識は必要なくローカル型は実学中心の職業訓練校
のようになればよいようです。
しかも超効率的に発展したグローバル型の産業では、雇用は
減少します。多くの労働者はローカル型の個人向けサービ
ス
業に転職するしかなく、それで非正規社員が増え平均賃金は
下がります。
国民のごく一部のグローバル系は、かつて高度成長時代の
富裕層に優るとも劣らない階層となるでしょう。ところが国
民の殆どのローカル系は、石川啄木の一握の砂のようにぢっ
と手を見るしかありません。
近未来の日本は、おそらく江戸時代のようでしょう。意外
なようですけど、それは馴染みのない社会ではありません。
江戸時代には270年間、人々は生まれ育った土地から出る
ことはな
く、ローカル型の農業で労働生産性を極限まで高
めていました。
江戸っ子は宵越しの金は持たね〜とタンカを切る格好良い
印象がありますが、その実は明日へ持ち越せるお金の余裕は
無かったのです。江戸は建築土木の単純労働者を必要とし、
田畑を相続出来ない地方の次男三男が江戸に出てそれに応じ
たのです。
落語などで強欲な金貸しが、借金の形に釜戸の下の木灰を
持ち去ります。釜戸の下の木灰には洗濯や染色に利用する価
値があったのです。長屋の共同トイレの糞尿は農家の肥料と
して売れ、店子の正月の餅代になるという持続可能な循環社
会が維持されていました。
日本に限らず世界の先進国は、しばらく成長経済の幻想を
追い続けるでしょう。そして、かつてのような経済成長は望
めないことに気づくでしょう。それよりも宇宙船地球号が転
覆しないよう、先進国と途上国とのバランスを考えなければ
なりません。地球の人口が瀑増して、月に移住しても解決し
ないからです。
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