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NHKのコメディ「お江戸でござる」に、江戸風俗研究家の杉浦日向子さんが、楽しめて知的好奇心をくすぐる解説をしています。いつも楽しく拝聴していますが、当時の東京は世界的にも屈指の人口と繁栄を誇る大都市だったようです。いま私たちが住む東京も有数の繁栄と人口を誇る大都市ですが、大きな違いとして当時はリサイクルの循環型社会であって、生活環境が完璧に保護されたエコライフが営まれていたということのようです。
驚くほどリサイクルが徹底していて、農家が下肥にするために汲み取る糞尿と、かまどの下の灰が売買の対象になっていました。しかも、それらに品質の等級があり、価格に高低があったのです。子どもの頃のおぼろ気な記憶では、自宅のトイレに農家が汲み取りに来る時には、いつも野菜を持参していました。汲み取ってくれて野菜を持って来てくれるので、子ども心にも有り難いことだと思っていました。ところが、市役所のバキュームカーが汲み取りに来るようになると野菜は貰えなくなり、トイレが水洗になった以降はいつの間にかそれらを忘れてしまっていました。
落語などでは金貸しが長屋へ取り立てに来た時に、血も涙もない金貸しは寝ている病人の蒲団を剥ぎ取り、しみったれな金貸しはかまどの下の灰まで持って行ってしまうようです。それを、しみったれな金貸しはかまどの下の灰という価値の無いものまで持って行ってしまうと思っていましたが、高価なもので無いにしても、借金の抵当としての価値がある物を持ち帰っていたのだと知らされ、知っているのと知らないのとでは受け取りに随分違いがあるものだと感心させられました。
子どもの頃にTVドラマ「パパは何でも知っている」を見て、アメリカ家庭の電化生活を眩しい思いで眺め、強い憧れを持ちました。テイクアウトしたハンバーガーを齧りながら闊歩して、使い捨ての器などを惜し気も無くポィ捨てする姿に豊かなアメリカを感じました。しかし高度成長の坂を上り詰めた今に改めて感じることは、美しく見えた隣の芝生が美しいばかりで無いということでした。大量消費の生活は魅惑的で、それを支えるために原子力発電が有効であることは判ります。だからといって放射性廃棄物をロケットに詰め込んで、宇宙の彼方に打ち出すので良いのでしょうか。
今の生活を江戸時代にまで戻すのが無理であっても、江戸時代の生活から学ぶものは多くあります。循環型社会を維持して生活環境を汚染と破壊から守らなければ、宇宙船地球号が壊れてしまうからです。
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