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障がい者施設襲撃事件は曲解されている。という表題を見ただけで、曲解とは不見識と決めつける人は少なく無いでしょう。それほど「障がい者問題」は、共通認識を持ち難く意見交換の場も持ち難いものなのです。「群盲ゾウを撫る」の例えでは、ゾウは「柱のよう」「ウチワのよう」「ロープのよう 」にと、眼の不自由な人たちがゾウに触った部位から異なった感想を持つと云うことです。障がい者は法律の定義上「身体障がい者」「知的障がい者」「精神障がい者」「発達障がい者」に区別され、その障がいの程度により軽度から重度まで等級で区別されています。「群盲ゾウを撫る」の例えのように、 " 障がい者 ” を語る時に「どの障がい」をイメージして語るかによって語る内容が異なり、殆どが " 軽度 ” の「身体障がい」と「知的障がい」のイメージに基づいて語っています。
「内部障がい」は「内臓障がい」など肢体不自由以外の身体内部の障がいですが、一般的に知名度はさほど高く無く、障がい者枠を使っての就職は有利ですがシルバーシートに座るのは気が引けるようです。社会一般にその存在が殆ど知られていなくて、障がい者施設襲撃事件のターゲットになったのがこの「重症心身障がい者」と「 強度行動障がい者」たちだったのでしょう。強度行動障がいとは「直接的な他害」や「間接的な他害」と「自傷行為」が非常に多く頻発することで、通常の環境下では対応が非常に困難な特性を持つ人を指します。強度行動障がいが見られる障がいや疾病には自閉症、知的障がい者、心身障がい者、精神障がい者などがあります。その中でも特に、知能指数が極端に低く重度の自閉症患者に強度行動障がいが多く見られているようです。
障がい者施設襲撃事件の植松聖容疑者は、施設職員として「重度知的障がい者」と「 強度行動障がい者」たちに接する毎日を送っていたのでしょう。昨今、老人介護施設で「認知症患者」たちの介護がいかに大変であるかが知られるようになって来ましたが、障がい者施設での「重度知的障がい者」と「 強度行動障がい者」たちに接する日々には想像を絶するものがあるようです。障がい者施設職員という職業は断トツの3K労働でありながら、噛みつかれたり引っ掻かれたりしても、感謝されることなどありません。植松聖容疑者は自宅の近くに障がい者施設があったことから就職したようですが、障がい者そのものについての認識は職員に引率されて散歩する障がい者の行列を時折見る程度だったでしょう。
障がい者施設職員として働いて、仕事内容の壮絶さに驚いたでしょうが、それ以上に障がい者と施設職員が「社会から見捨てられている」と感じる日々に耐えられなかったように思います。「障がい者は周りの人を不幸にする。障がい者は生きている意味がない」との訴えは、 ” 臭いものにフタ ” をして「存在していない」かのように看做している社会と行政へ反省を求めて檄(げき)を飛ばしたのではないかと思います。「人格障がい」か「精神障がい」と診断される状況にまで追い込まれたからこそ、本音を封じ込める抑制が外れて「障がい者と自分たち」を救って欲しいという気持ちを意識せずにでも噴出させたのでしょう。
社会の人たちは「重度知的障がい者」と「 強度行動障がい者」たちの存在を殆ど知らず、軽度の障がい者が障がい者の全てだと思っているために、障がい者に対する「差別」と「偏見」の問題が極端に噴出したのが今回の障がい者施設襲撃事件だと思っているように思えてなりません。今回の「障がい者施設襲撃事件」は、障がい者に対する「差別」と「偏見」の問題であると言い切られているために、さらに深刻な問題が覆い隠されてしまっているのです。障がい者に対する「差別」と「偏見」を無くそうと訴える人たちに、「重度知的障がい者」と「 強度行動障がい者」そして障がい者施設で働く職員の処遇に眼を向けて欲しいと訴えたいのです。そうでなければ、沖縄問題や原発問題に通じる「エゴイズム」を感じてしまうのです。
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