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ご存じのように私たちの食卓には、世界中から食材や珍味が届けられています。まさに"御馳走"の恩恵に浴しているのですが、あたかも大昔のローマ市民やかつてのヨーロッパの王侯貴族の食生活をしているようです。
高度成長経済を所得倍増のかけ声と共に実感した頃から、便利な生活のすべてを手に入れ" 物余り生活 "を持て余し気味だったバブル経済のピークまで、民主教育で身につけた自由の意識を免罪符にして求めるままに" 国民総中流意識 "を持つまでに蓄財を励んでしまいました。
そして、その親たちを見て育った私たちは、飢餓や貧困と無縁になっていても、更にを満たすために働き続けています。海外からは「仕事中毒」と揶揄されていますが、それは表面的な見方であって、仕事中毒と見えるところも駆り立てられた行動に過ぎないのです。身のほどを知る「分限」を誰からも教えて貰えなかった不幸に基づき、エコノミック・アニマルになるよう見習うしかなかった不幸なのです。このところの現象として、仁術であるべき医療も経済至上主義としか思えないところを感じさせられています。" 病院冬の時代 "と称されるこの状況で、残念ながら" 貧すれば貪する "なのでしょうか。
その最たるものは「美容外科」と「不妊症治療」そして「性転換手術」であろうと思いますが、もちろんその行き過ぎの" 程度 "が問題なのです。誰もが納得できる範囲でのものであれば問題視はしませんが、患者が求めるならば何処までも応じてしまうところが問題なのです。まったく別人のように変えてしまう「美容形成」で良いのでしょうか、体細胞からでないにしても精子バンクと代理母の組み合わせで「我が子を得る」のでも良いのでしょうか、幾度も転換に応じてどちらにも納得できず「元に戻して」と懇願されたらどうするのでしょうか。
身近な人たちの自殺念慮や企図は無論のこと、リストカット(wristcut/手首切傷)などの自傷行為であっても誰もが驚きます。ところがポリサージェリ(polysurgery/頻回手術症/反復手術病)という病気の存在は、専門医を除いて一般科医師では殆ど知らないようです。それを知っていても求められたら、応じてしまっているのではないかと勘繰ってしまうほどです。自己臭・醜貌恐怖症や汎恐怖関係症候群など思春期妄想症を背景にもつポリサージェリは、自覚的訴えと客観的身体所見が明らかに異なります。
そのメカニズムは事故や病気で失った手か足に激痛を感じる「幻肢痛」からも理解できるでしょう。現実的困難や心理的葛藤から身体違和感への逃避が認められ、部分的自己破壊による全体的自己破壊の回避と見なすことができます。「美容外科」と「不妊症治療」そして「性転換手術」は、" 苦しむ患者を救う "という 美麗文句で歯止めを失ってはいけません。苦しみの程度に序列をつけるのは困難ですが、幼き子の生命を救うための技術革新の外は程々で良いのではないでしょうか。病気のために幼くして人生を終えなければならないのは、あまりにも気の毒だからです。
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