女性と男性との間には

 

 かつて女性は太陽だったという。そう言われてみると、なんとなくそんな気がする。母なる大地と言われても、母なる海と言われても、山の神だと言われても、全てそんな気がします。女性が太陽であるという"暗号"を解読しようと妄想を廻らせていた時に、ふと人類の歴史が始まって暫くの間に存在していたのは女性だけだったのではないかと思いました。単性生殖が可能であれば、子どもは産まれ子々孫々へと連なります。クーロン羊や牛よりも、かつては人間の方が先だったかも知れないからです。女性だけの社会があり、必要な時には男性を奪取し捕虜にするというアマゾネスの伝説は、私たちの発想で辻褄を合わせたものではないかと想像します。

 今の時代に暮らす私たちがロボットの出現を求めたように、ある時から大型で骨格と筋肉が発達した「男型人間」を産み出すようになったのでしょう。腕力があり闘争的であることは、狩猟をするにも猛獣などから一族を守ってもらうには好都合だったのです。男型人間は重宝され数を増やすうちに進化を重ねて、いつの間にか"男性"になってしまったのでしょう。腕力があり闘争的であることは外敵と闘うには好都合ですが、両性生殖を望む欲望が社会的優位と誤解するきっかけとなり、家族や社会など母系単位を征服し支配することが当然のことのように思ってしまいました。荘園や館の警備をしていた武士が征夷大将軍となり武家政治を始めてしまったようなものです。

 お父さんが建てた家に住み、お父さんが得た収入で生活をする。お母さんが快適な家庭環境を維持し子どもを育てるという構図は、男性が自分で稼いで蓄えた財産を自分の子どもに譲りたいと思い始めた頃から始まり現在まで続いているもののようです。男性にとって我が子の母親を予め占有にしておかないと、我が子であるという確証が得られません。女性の生活を保証し機嫌をとり他へ行ってしまわないように、「家制度」という架空の概念まで作り出し専業主婦として家庭に縛ったのです。男性は家の外へ稼ぎに行くという錦の御旗を掲げ、家の中の事をすべて雑事と称して本来自分が負うべき義務まで回避しています。

 "俺が喰わせている"の一言で30年間も抑え込んだ後に生じた逆転劇の結果が、粗大ゴミと濡れ落ち葉ですから互いにとって不幸と言わざるを得ないでしょう。不満が多いと変革を望むように、よい待遇に満足していると保守的になります。男性に生まれて良かったと思い、構造的な不幸に気付いていない男性たちに意識の改革を望むのは殆ど無理でしょう。女には出来ない、男でなければ無理という言葉で支配し続け得た根本的な理由は、単に"碗力こそ正義"ということでしかありません。それも「男社会」という体制を作るまでのことで、体制を作ってしまった以降はさして必要はなかったのです。

 それは徳川幕府が成立して太平の世の中になってからは、つねに武士が腰に差していた刀は身分の象徴でしか無くなってしまったようなものです。過去の観念に支配されたままになっているのは、そろそろ終わりにしては如何かと思います。今やダンプカーを運転する女性がいて、宇宙船に乗り込む女性宇宙飛行士がいて、男にしか出来ない仕事というものはなくなりました。益々職業の男女相互乗り入れが進み、遂に残されたのは男性に助産婦(士)への門戸が開かれていないということぐらいのようです。職業にも人生にも自由な選択が許されて、好みで選んだ結果に専業主婦と専業主夫が存在するのは良いことと思います。

 

 

 

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