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このところのテレビには、「専業主婦は是か否か」という討論を内容とした番組が少なからず見かけられます。専業主婦否定派は論客で知られるタレント教授などであり、専業主婦是認派はかつてアイドル歌手だったりした専業主婦などで討論の技術も経験も持ち合わせていません。フェアでないと思ってしまったら見ていられませんが、両派論客もその他も、視聴率だけの番組の演出に応じていればよいと考えているだけのようです。
しかし、「専業主婦は是か否か」という討論は、受け狙いだけで行って良いようなものではありません。昨今の世相が「専業主婦バッシング」化に動いていることから安心し、その増長を無視しても、視聴率アップを考えてこのような番組を作るのでしょう。
専業主婦を、リストラすべき不良債権ならぬ" 不良細君 "として、厄介者扱いして来ています。さらに「兼業主婦化」するよう教唆するのは、年収130万円未満のサラリーマンの扶養妻である「3号被保険者」は年金の保険料を払っていないので、独身者や共働き夫婦がその分まで払わされているという不公平感を是正するためのようです。
そもそも専業主婦という存在は、高度成長経済を支えるための「国定身分」から始まったようです。歴代政府はは民主主義と同様に男女平等を標榜しつつも、効率よい管理のために夫を基幹労働力としました。そのために、国策の幸福色に染め上げた妻を家庭という社会から隔離された場所に閉じ込め、夫という労働力のメンテナンスをさせ、子どもという将来の労働力を再生産させ、用済みの労働力である老人の介護をさせ、すべてを愛の名によって行う無償の労働をさせました。年金の3号制度などは、こうした隷従を妻が自ら引き受けるためのアメだったのでしょう。
そして低迷経済に喘ぐ今、専業主婦たちをパート労働力として低賃金労働に駆り出そうとしています。しかも行政主導のフェミニズムは、仕事を持つことで社会と関わるよう勧めます。共働き夫婦の家事に費やす時間は2時間対2分と言われていても、そこを是正することを考えずに、ただ「ワークシェアリング」とは似ても似つかないパート労働に駆り出そうとしています。 高度成長経済がバブルと共に終焉した今、どうしても専業主婦たちに働いて欲しいなら、そしてその存在を抹消したいなら、差別のないワークシェアリングで遇し、家事労働にも適正なワークシェアリングを導入しなければならないでしょう。
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