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最近の新聞報道で満州国皇帝溥儀の実弟愛新覚羅溥傑氏が北京の病院で逝去したと知らされました。満州帝国がリットン調査団の勧告を受け入れていたならば、日本降伏後もその存続は認められたでしょう。ひょっとしたらタイ王国のように穏やかに民主化をすすめ、満蒙の地に真に五族協和の王道楽土を建設できたかも知れません。そして清朝第十二代宣統帝の姪として王家の血筋を受け継ぐ氏の令嬢の心中事件は復員した軍人や大陸浪人たちが清朝の復活を後の世に継ぎ残そうとした地下活動を封じるGHQの謀略ともいわれました。しかし、マスコミの取り上げ方は「流転の王女」の悲恋であり、「天国に結ぶ恋」という扱いでした。
一般的には、身分の違いによる悲恋の出来事であって新生日本がなおも引きずる鎮火後の残り火のようなものとして感じたのではないでしょうか。大戦を境としての昭和時代の激変を象徴する事件であったことに違いありません。このことを記憶に残す人も少なくなったようですが、日中国交正常化20周年記念事業として、ミュージカル李香蘭が上演されて、中国四都 市公演を含めてロングランを続けていることから、若い年齢層にも改めて昭和を考え直す機運が生まれてきているのかもしれません。
そして今日は一億国民総中流意識時代ですから、身分違いによる悲恋などというものは存在しないと思いましたが、旧弊人種と時代錯誤人種が存在していてアナクロニズムを形成しているのです。そして、現代版「天国に結ぶ恋い」事件があったのです。もちろん未遂事件でしたし、警察もマスコミの抑えたので公表されることはありませんでした。その当事者A子さんとB夫くんは大学のクラブの先輩後輩で仲良く、アルバイト先も一緒であったことから将来に結婚を考える間柄となりました。微笑ましいカップルで、周囲も祝福していました。
しかし、B夫くんが三高どころか一高もないこととA子さんの家柄に相応しくないことで、A子さんのご両親は交際を禁じました。一人で外出が許されるのは授業に出席する時のみで、寄り道が出来ないように門限を厳しくされていました。愛し合う二人ですから、いくら禁じられても逢瀬は続きました。授業や部活をサボればいくらでも会えてしまうわけです。それを感じ取ってご両親は、さらに締めつけを強めました。外出中に電話で話すことぐらいしかできなくなってしまい、ついに二人は駆け落ちを企てました。
関西の祖母を訪ねることにして新幹線のホームまで母親に見送ってもらい名古屋で途中下車して、待っていたB夫くんと飛行機で沖縄へ飛び、星の砂の浜で二人だけの数日を過ごしました。駅のホームまで出迎えた祖母は、孫娘が電車から降りて来ないので慌て、東京のご両親と連絡を取りながら探せるところはすべて探しました。そして懸命の捜索で、都内の友だちのアパートを転々としていることを突き止めました。ドラマのような追求と逃避が続き、逃げ切れなくなった二人はついに大学に近いホテルで静かに死ぬことにして手首を切りました。速やかに死ねる方法ではなく、救いを求め続ける死に方です。
異様な事態を察知したホテル側の通報で、救急病院に収容され一命をとり留め事態が関係者の間に明らかとなりました。その後A子さんは精神病 院へ転 院となり隔離されましたが、家族療法を受けて頑なさが取れたご両親から自由な交際が認められました。A子さんが卒業するまでB夫くんとの交際は続きましたが、卒業と同時に祖母の紹介で三高ではありませんが、家柄のよいC氏と見合いして周囲が呆気に取られている間に電撃結婚をしてしまいました。B夫くんは仰天しご両親も慌てたほどです。
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