モロゾフ「愛の詩」最優秀賞入選作品ハク爺が初めて作った散文詩です。^_^;
私はまどろんでいる。杜から聴こえる小鳥のさえずりと、
一番電車が通る踏切の信号音が朝を知らせる。
夢の中できみのお喋りの相手をし歌声を聞いていたら、
もう朝になってしまったようだ。
太郎が見そめた美少女華子はまだ人間年齢で12歳でした。
たまの休みはこのまままどろみたいが、
きみはきっと朝の景色を見に行きたいだろう。
聞き耳をたててきみの部屋の様子をうかがう。
静かで物音一つしないけれど、
きみは目覚めているにちがいない。
となりのお寺の境内でカメラを構えると、その場で即ポーズ。
わたしが起きた物音にきみは微かに鼻をならす。
事故で言葉を失い輸血で免疫を失ったきみ。
自由の世界を失ったきみは、
水槽のような空間だけがきみの世界だ。
お寺の土塁下の弁慶井戸は、武蔵坊がこの水で墨をすり義経に書状を書いた。
わたしの足音が近づくにつれて、
鼻音は大きくなり波うち激しさをます。
しかし顔をあわせた時には鼻音は止まっていて、
鳴らしてなんかいなかったような顔をしている。
お寺の庭から自宅までは直線距離で30Mで、花木と雑木林と西通りがある。
きみはいっでも散歩に出られるように身支度を整えている。
わたしはパジャマの上に防塵服を着て
寝ぼけ眼の髭面に不織布のマスクをする。
殺菌液を垂らして手掌の滅菌をし
おもむろに食事の準備を始めると、
嬉しそうな待ち遠しいような顔をする。
太郎と華子がなんでも一緒なのは、華子がなんでも真似するからです。
おいしそうに待ちきれなかったように食べるが、
一緒に食べられないのは物足らないのだろう。
食後に散歩をしなければならないことはないのに、
必ずしなければならないような顔をする。
近くの公園のジャブジャブ池は、散歩の途中に必ず寄ってジャブジャブします。
きみの横顔を見ているとその笑顔が
どこから涌いてくるものなのか知りたくなる。
わたしがきみに笑顔を見せているのに
努力がないといえば嘘になる。
なぜか太郎は身勝手華子の全てを受け入れてます。これが愛なのでしょうか。
きみの心境がある域を脱してある域に到達したのか、
笑顔を笑顔として受け取ってもよいと
いっているような笑顔を見せる。
満足できれば、更に首から下がすべて麻痺していても自由だし、
そうでなければ五体満足でも不自由だ。
水槽のような空間で暮らすきみが自由の意味を教えてくれるし、
言葉を失ったきみが多くを語ってくれているように思える。
www02.so-net.ne.jp/~oak-wood/
oak-wood@ba2.so-net.ne.jp