月刊「狩猟界」誌 ふれあい紀行( 東京 )

心理コンサルタント 中嶋 柏樹 

 

「ラブ犬」を訪ねて三千里

英国王室サンドリンハム犬舎訪問記(1)

王室犬舎支配人メルドランご夫妻と女王陛下の愛犬たち

 

 わが家には「太郎」と「華子」という名前の二匹のラブラドールがいて、「東京南ラブラドール・R・クラブ」に所属している。クラブが催す年数回のハイキングなどの行事で顔をあわせるラブたちが、ラブラドールであろうと思っていたが、ある時、ある人から「Kさんのところのブタ犬は・・・・・」と言われたことがあった。

鳥の羽のダミーで遊び、猟欲を持たせる

 Kさんとは、クラブの代表者のことであるが、なぜブタ犬と言われなければならないのかと思った。確かにクラブの人たちにはラブラドールが可愛くて仕方なく、家族の一員として生活を共にしているから、やや肥満ぎみなのも仕方ないことのように思っていた。それでどうやら、その太っていることを指しているのであろうと思った。 また、ある時、ある人から「本物のラブラドールを見せてやる」といわれて、はるばる見に行ったことがある。英国王室犬の直系といって見せられて驚いたのは、スリムな躯体と正確な角度をもった後肢と敏捷な動き、どうみてもポインター、セターなどのような狩猟犬と同じようにしか見えなかった。

「マテ」は行動抑制に利用できる

 確かにラブラドールが「鳥猟犬」であることは知っていた。そして撃ち落とされた獲物を拾って運んでくるのがその役割であろうから、ポインターやセターをサラブレッドとみるならば、ラブラドールは道産子や木曽馬のようなものと理解していたので、どう区別したらよいのか、少なからず困惑してしまった。 わが家のラブラドールは残念ながら、外見ばかりでなく訓練性能とか作業能力とかいうものとはほとんど無縁といってよいほどのものであるから、家庭犬として被愛対象としての存在意識は大きなものであるが、食べて寝るだけという意味からは、"ブタ犬”と言われても仕方ないことのように思った。 いまから思えば、その黒ラブは「サンドリンハム・トランプ」の血を引く直子か孫だったのであろう。

 

 

ことのきっかけは「サンドリンハム・トランプ」 

トランプを知らずしてラブを語るなかれ

「ラブラドール・リトリーバー百科」((株)狩猟界社発行)の「歴史と発展」の章で、王室犬舎「サンドリンハム」と「サンドリンハム・トランプ(写真2)」を知り、トランプの生育史から、ひょっとしたら生きているトランプに会えるかも知れないと思った。 歴史上の人物に会うようなラブラドールの歴史に名を連ねる名犬に会えるかもしれないと思う心のかたまりはシィーラカンスやイリオモテヤマネコに会うのとは比較にならない。タイムスリップでもするかのような感動であった。トランプのオーナーである柳沢嘉男さんに手紙を書いた。手紙を出しても返事はいただけないのではないだろうかと心配したが、快く応じてくれてトランプに面会できた。

英国では黄ラブに稀少価値がある

 氏の書斎の半分を占領して、扇風機の微風を心地よさそうに寝そべるトランプを見たときに、エジプトのラムセス王が奴隷たちに団扇で扇がせている姿を連想してしまった。それほどトランプは堂々としており、老いを感じさせない王者の風格が感じられたのである。トランプに面会することを快く応じてくれた柳沢さんの温和な雰囲気に甘えさせていただき、さらにトランプの出身犬舎「サンドリンハム」を訪問することはできないかと尋ねてみた。 ひょっとしたら、という気持ちがなかったわけではないが、予想どおりきわめて難しいだろうという返答であった。

頭部にはっきりとした額段がある

 いままでに訪問が叶った日本人は、全猟副会長の石橋徳次郎さんぐらいではというこであったので、ずいぶん身のほど知らずなことを口にしてしまったと後悔した。 わが国の犬界の元老でもあり、英国の犬界でも広く知られている川島游備さんの口添えが得られれば、北アイルランドに住む国際審査員であるD.リードさんに会うことは可能だろうし、D.リードさんの紹介が得られればサンドリンハム犬舎の支配人B.メルドランさんは会ってくれるかもしれないと言われた(写真1)。さらに「サンドリンハム」の見学が無理だとしても、D.リードさんを訪問できたならば素晴らしいラブラドールを見てこれるだろうから、頑張ってみたらどうか、と勧めてくださった。

 

鼻梁は広く鼻鏡が発達している

 D.リードさんに手紙を書くことにしたが、どんな返事を頂けるだろうかと不安になった。英国人だから返事をくれないようなことはないとしても、慇懃な文面で遠回しに断ってくるのでは・・・・・・、しかもあまりに遠回しすぎてNOをYESに曲解してしまい、あとでガッカリするのではないかと、つまらぬ心配までしてしまった。しかし、頂戴した文面は、川島さんの健康を心配し、気遣うところがほとんどであったが、北アイルランドの首都ベルファスト国際空港まで出迎えてくれるという、まさにありがたいものであった。しかもロンドンでベルファストまでの格安航空券の入手法まで事細かに教えてくださった。

 

 

北アイルランドに国際審査員のD.リードさんを訪ねて 

 

耳は頭部に沿って後方に

 北アイルランドは、英国国教である聖公会に支配されて以来、多数派であるプロテスタントとカソリックとの間に紛争が絶え間なく続いてきているようである。そして、いまだにカソリック過激派集団I.R.A.のテロがわりと頻繁に起っているところと思っていたので、ロンドンから直行便で入国して大丈夫だろうか、アイルランド共和国経由で入国したほうが無難ではないか、などと心配してしまった。 ベルファストの空港に着いても、リードさんが出迎えていてくれなかったらどうしよう。ガイド・ブックの地図をみるとネイ湖の対岸にリードさんの住むクックス・タウンはあるけれど、交通は不便で、レンタカーを借りるしかなさそうだ。ホテルはベルファストに一つしかないので、朝早くに出ないと日帰りできないのではないだろうか、などと心配であった。

 

額段で頭蓋と鼻梁は一直線とはならない

 ベルファスト空港に着いて、感慨深く周囲を眺めまわしながら降りて行くと、大きな体で、テンガロン・ハットでもかぶっていたら、ジョン・ウエインのそっくりさんのようなリードさんがニコニコと笑顔で出迎えてくれた。がっしりした太い大きな手でのあたたかい握手は、いまだにその感触が残っているような気がする。 リードさんの愛車ボルボで、アッというまに町を駆けぬけると、かぎりなく遠くまで続いて見える牧草の丘陵となった。羊の群れが草を食のどかな田園風景となったが、リードさんが前方を指して「これが検問所だよ」と言う。 道路が洗濯板のようにデコボコとなっているので、羊や牛が横断しても交通事故に遭わないようになっているものと勝手に思っていたら、検問のために車を減速させるものだった。

目は知性と穏やかな性質を表現して

 時々、武装した兵士を見かけ、交通整理をしている警官までが銃を肩にかけて武装しているので、バルト三国の独立などの影響で、ひょっとしたら過激集団、I.R.A.も活気づいているのかな、あうりはいつもこんなふうなのかな、などと思った。リードさんご夫妻の真新しい瀟洒なたたずまいのお家の裏庭に到着し、車から降りると、賑やかなポインターとラブラドールたちの鳴き声が聞こえる。夏にはバーベキュー・パーティーを開くという、色とりどりの花々にかこまれた芝生の庭の左に10坪ほどの煉瓦づくりの家屋がる。その後ろが犬舎になっていて、犬たちは立ち上がり背伸びしてこちらを見ている。

ティールはリードご夫妻の愛犬で

 犬舎の右側、芝生の庭の真後ろは家庭菜園になっている。そして、その奥に建築中の犬舎があった。煉瓦づくりの家屋の中は、手前から作業場兼飼料倉庫、産室、そして病室らしきところに分かれていた。すべてリードさんの手作りらしく、とても使いやすく工夫がされていて、ちょうど犬舎の新築を予定していた私にはとても参考になった。とくに病室らしき部屋と犬舎との壁に一辺40cmほどの小さな扉があり、名前を呼ばれた愛犬ティールが飛び込んできたり、飛び出して行ったりするのである(写真3)。 

黒か黄だが、他でも一色であれば

 便利な工夫であることと、犬たちに上手く利用させていることに舌を巻いた。リードさんの奥さんは、ロンドンで洋服のデザイナーをしていたことがあるそうで、家から車で五、六分ぐらいのところに婦人服と子ども服専門の洋装店と縫製工場を経営している。自宅とお店との間の送迎はリードさんの仕事のようである。パブヘディナーに行こうといわれ、車に七、八分乗ると、川底の水藻や泳ぐ小魚やこの地で「淡水ニシン」と呼ばれている川マスの一種までがはっきり見える川のほとりにある、郊外レストラン風のパブに着いた。

パブは飲食できる公民館のようなもの

 ここも果てしなく緑の丘陵がづづき、羊が点在し、豊かな水が滔々と流れ、ナショナル・トラストで景観保存をしているのではないかと思えるほどの美しさである。 パブは地域の集会所といった感じのところで、お茶も食事もお酒もすべてセルフ・サービスで、気取りのない家庭的な雰囲気のところである。店内の客、出入りする客すべてと挨拶し、しかも店主婦人がリードさんの奥さんの姪(写真4)だということで、さながらパーティー会場のような様相となり、遠来の日本人を囲んでベルファーストに日本庭園ができたとか、ジャパン・フェスティバルで文楽が公演しているとか、来週からロンドンでジャパニーズ・レスリング(相撲)がある、などと話がはずみ、だいぶ盛り上がった。

獲物をくわえても傷つけない歯並び

 リードさんのラブラドールをわざわざ日本から見に来たと言うと、誰もがあたかも自分の家の犬かのように自慢し、誇らしげな顔をする。リードさんの娘さんがロンドンデリーに住んでいて、そこにラブラドールがいるというのでぜひ見せてほしいというと、その近くには世界一のトレーナーであるA.マーチンさんがいるから、フィールド・トライアルを見せてもらえるように頼んでやると言う。夕食後、居間でくつろいだ時、少し前にリードさんがフィールド・トライアルの審査でオーストラリアへ行ったときのビデオを見せてくれた。いろいろ詳しく説明してくれたが、半分ぐらいしか聞きとれなかったのが、とても残念であった。

 

 

世界一のトレーナーA.マーチンさんの

愛犬たちによるフィールド作業 

ラブの同腹産子は平均8匹で

 翌朝食後「フィールド・トライアル」を見に行くといわれ、太編みのセーター、ズボン、長靴、コート、帽子とハンティングに行くような身支度を勧められてビックリ、公園か空き地のようなところでちょっと見せてくれる程度のものと思っていたら、競技会形式の実演をやって見せてくれるというので、信じられないほど大感激した。 前にかがめないほど着込んで車に乗り込み、ロンドンデリーへ着くと、リードさんの兄弟だというD.マーチンさんと、トレーナーのA.マーチンさんが待っていてくれた。A.マーチンさんは黒ラブ五頭に、黄ラブ一頭を連れて犬舎から数分のところ、幾重にも連なる緑の丘陵を望む広い牧草地へ行き、見事なフィールド作業を披露してくださった。

お宅の近くにFT最適な牧草地が

  マーチンさんの足下にラブたちを座らせておき、灌木の中や草地の中に数カ所にダミーを投げ込んで置き、一頭ずつに指示どおり探させ、回収させた。また草地に一定の間隔をおいて、笛の指示でダミーを探させ、運ばせるといった作業をものの見事に完遂させた(写真5〜6)。ラブラドールが機敏に動いて疾走する様を初めて見せてもらい、認識をあらたにした。そして、今まで想像していたところの「のそのそと運んでくる多くのラブたちの姿」は完璧に払拭された。マーチンさんもリードさんも口をそろえて、「作業犬としては黒ラブのほうが優秀だ」と言う。その理由として「ウイナーやチャンピオンには黒ラブが多い」からだと言う。もともと黒ラブが多く飼われているのだからパーセントで比較してほしいと思ったが、また速射砲のように喋られるのを恐れて黙っていた。

ダミーは生け垣の向こうに投げ込む

 リードさんに見せてもらったビデオや、戴いた雑誌「シューティング・タイムズ」でも、フィールド・トライアルで作業をしているのは黒ラブ、ご主人の足下には黄ラブといった印象がり、能力は黒ラブ、見てくれは黄ラブということになるのか、などと思ってしまった。 確かに作業中の黒ラブは「黒い弾丸」のようで、目にもとまらぬ早業で与えられた指示に従い、次々と作業していくさまは見事なものである。しかし、同じ作業をする黄ラブが決して劣るとも思えない。もともと黄ラブは数が少ないのだから、パーセントで判断してもらわねば黄ラブの名誉にかかわるのではないか、などとも思ったりした。

リードさんの息子さんの服を借りて

 北アイルランドはよく雨が降り、しょっちゅう風が吹いている国だそうで、年間平均降雨日数は215日で、降雨量は879ミリだそうである。平均気温と湿度は夏季で14.5度C75%、冬季は4度C90%だそうで、冬のほうが湿度が高いそうであるが、お訪ねした10月初旬でも、しょっちゅう雨がパラパラと降っている感じで、青空で日差しが暖かくても、どこからとなく雨が飛んでくるのである。日本流にいえば、毎日が「キツネの嫁入り」といったところである。 傘をさすのが面倒なくらいの降りだったらささなくてもかまわないと思うが、濡れてしまうほどの降り方でも傘をさす人はいない。

 黒ラブの黒は、他に例を見ない漆黒で

 風が強いのでさしづらいのかもしれないし、もっと強ければとてもさしてはいられないだろうから、傘をさすという習慣がわずかしかないのかもしれない。そのかわりにレイン・コートにレイン・フードとかレイン・ハットという出でたちになるのであろう。しかも、ほとんど車で移動しているから、傘を必要とすることはおおむねないようである。そこで、フィールド・トライアルなどのように、屋外に数時間いるような場合は、雨風と寒気に耐えられるような身支度が必要になるということが、実感をもって理解できたわけである。メイドイン・アイルランドの生活用品が機能的で酷使に耐えられる作りになっている理由がわかった。

ヘザーとダビッド夫妻はバラ作りが趣味の 

 このように気候風土や生活環境が厳しいところでは、なんでもかんでもがしっかりと出来上がっていて、質実剛健そのもののライフ・スタイル以外は許されないところなんだということが十分理解できた。

 

 

 

「ラブ」を訪ねて三千里

英国王立 サンドリンハム犬舎訪問記(2)

ついに念願かなって「サンドリンハム」犬舎へ 

 御用邸の杜は大木ばかりで鬱蒼とはして

  リードさんにお会いした時に、サンドリンハム犬舎を訪問したい希望がある旨をお話したところ、それはとても難しいことだ、と言っただけで話題を変えてしまった。その時点で諦めたほうがよさそうだと思ったが、帰り際に再度お願いしてみると、サンドリンハム犬舎の支配人B・メルドランさんに電話をして頼んでみると言ってくださった。ロンドンに戻ったら、リードさんに電話をして、その結果を知らせてもらう手筈になったが、OKとなるか、NOと言われるか気になって仕方なかった。

 黄ラブの幅は広く、象牙色も黄色に含まれ 

スコットランドへ渡るフェリーが出る町ラーンまでリードさんに車で送っていただき、準備していったブリットレール・パス(国鉄周遊券)を遺憾なく利用するつもりで、グラスゴウ、エジンバラ、そしてイングランドへ入ってから湖水地方のウインダミアへと寄って観光し、三日後の夜に、ロンドンのホテルに戻った。早速、リードさんに電話をすると、明後日、月曜日の午後一時にサンドリンハム犬舎を訪問するように、この後すぐにB・メルドラムさんに電話をして約束の確認をするようにとのことであった。

黒ラブの眼色は濃い茶色が望ましい

 B・メルドランさんに電話をすると、低いトーンでほとんど「イエス」としか言わない。イエスといって欲しくて必至になって電話をしているわけであるが、イエスとしか言ってもらえないのは話づらく、たとえ会ってくれたとしても快く思ってくれていないのではないかと不安になった。 サンドリンハム犬舎訪問のために一週間の日数を用意しておいたので、訪問日が決まるとさっそく残りの6日を消化する日程を考えた。もちろん、観光であるが、その詳細は本稿では割愛しよう。

子どもでもイケナイことはやらせない

 さてサンドリンハム犬舎を訪問するについては身長に万全を期し、トーマス・クックで電車の時刻を確認し、最寄りの駅からタクシーでと言われていたので、タクシーに乗り、十分時間に余裕をもって臨んだ。ところが、そろそろ到着かと思ったころ遥か彼方に森が見えてきて、そこへどんどん進入して行くと、視界に入る辺りの風景はずーっと森林公園の中のように整備がゆきとどいている。なんでもなくて、こんなに整備されているはずはないと思い、ますます「到着したようだ」と思った。しかし、タクシーはスピードを落とさず突き進み、「もう着いたのではないですか!」と言いたくても言えずにいると、森を突き抜けて家並みが続くところへ出てしまった。

リードを気にせず左につくように

身を乗り出して声をかけようとしたら、運転手さんは路肩にタクシーを停めて地図を開き指さして、しきりに「ここいら辺りのはずなんだが」と言う。イングリッシュ・セターを連れた散歩中の若い女性がいたので、犬を連れているのだから間違いないだろうと、「サンドリンハム犬舎」を尋ねると、知らないと言う。来た道方向を指さして、カントリー・パークへいってみたらどうかと言う。土地の人が知らないと言ったので、運転手は自信をもってしまったのか、急に多弁となり、「たとえ女王陛下の犬舎でも知らない」と言う。運転手さんを頼らず自分の足で探そうと決心し、カントリー・パークへ行って電話をすると、目の前のレンガの塀の中がサンドリンハム御用邸だと知らされた。

ご夫妻は共にスコットランド人で

 サンドリンハム犬舎の支配者でチーフ・トレーナーのB・メルドランさんが住むお宅は、サンドリンハム御用邸の南東の端にある。家の中へ入ると一五歳の黄ラブとダックスとコルギーのあいのこという、珍妙で可愛らしい小犬が出迎えてくれた。B・メルドランさんの奥さんの手作り菓子と紅茶でアフターヌーン・ティーといった趣で歓迎してくれた。応接室の中央に長々と寝そべった老黄ラブ、眠ったように目を閉じているが、目を閉じても話は聴いているように時折、上目ずかいに喋っている人を確認するかのように眺める。ダックス・コルギーはチョコチョコと動きまわり、家族の一員であることを知らしめるデモンストレーションのようで可愛らしく、わが家の華子とよく似ていると思っていたら、小さなティー・テーブルを倒しそうになり、「静かにしていなさい」と抱きかかえられるとわめき散らして大暴れ、奥さんが隣の部屋へ連れてゆき、ドアを閉めて戻るとわめき声がけたたましく聞こえる。

薄めたシャンプーで拭くとサラサラに

  B・メルドラムさんは、初めて笑顔をみせ、「あの子は、まったく訓練をうけていない、わが家の王様だ」と「訓練を受けていない」を強調して言う。もし、わが家の太郎と華子を引き会わせたら、「まったく訓練を受けていない」と言われてしまうだろうなと思い、おかしくなった。ダックス・コルギー君のお陰で話がもりあがり、それに引き続いて「犬たちをお見せしましょうか」と言っていただけた。B・メルドラムさんにお会いしたいとお願いしてあるのであって、犬たちを見せてほしいとお願いしてあるわけではないので、犬たちを見せて欲しいとお願いする機会がないままに帰ることになったらどうしようと内心気を揉んでいたので万万歳である。

食事の前のマテは手軽な服従訓練

  写真とビデオを撮ってよいか?と尋ねると、「もちろん」を強調して「ご自由にどうぞ、問題ありません」と言ってくださった。写真とビデオの撮影を許可されて俄然元気になり、サンドリンハム犬舎のラブラドールの優秀性を世に知らしめた「シドニー」の油絵の肖像画が暖炉の左上の壁に架けてあったのが初めから気になっていたので、「どうぞ」と言い終わるやいなや、待ち切れないように撮りまくった。やはり日本人はカメラ好きと思ったに違いない。

 

「サンドリンハム・ラブ」のフィールド作業 

 ビルさんは各犬毎日20分の訓練を

 お宅と犬舎との間には広い芝生の庭がある。B・メルドランさんが庭に出ると、愛犬たちの鳴き声があたりに響きわたる。 右手北側に夏用と思われる犬舎が並び、左手には冬用と思われる煉瓦作りで数世帯も入居可能な大きさの南青山にあるテラスハウスのような、とても犬が住む家とは思えない、立派な作りの犬舎が並んでいる(写真1)。 ラブたちは犬舎の扉につかまって立ち上がり、メルドランさんの動きに合わせて右を見たり左を見たりしている。犬舎から出してもらえたラブたちは跳ね回り、飛び回り、喜びを全身で表す。 わが家のラブたちと同じようにと密かに思った途端、号令で整列して座り、野球の選手が塁を守るときのように、芝生の広場へ行って座り、指示を待つ。

コイで来るとノーリードに出来るから

 ダミーは植え込みの中、芝生の上に数カ所、さらには生け垣の遥か向こうにと、投げ込んで置く。 植え込みの中に飛び込んで探し、ないのが不思議だという顔をして出てきて、また飛び込むとか、ものすごいスピードで生け垣に突入して行くかと思いきや、手前芝生の上にあるダミーをくわえそうになって、はじけ飛ぶように方向変換して生け垣に突入するとか、ハプニングのようなことが時にあるものの、幾つもの課題を同時に与えられても、それを正確に解決していく熟練技はかなり高度なものであって、あたかもサーカスの曲芸などのように、ハンティングに求められる鳥猟犬の技能を遥かに越えたもののようにさえ思えた。

ウインダミア湖畔のカード屋さんに

 あまりの見事さに、すかさずどのようにトレーニングしているか尋ねると、「毎日一匹につき20分ずつ訓練している」と言う。そして「毎日欠かさずやることが大切だ」とも言った。ラブラドールが優秀な犬種であって、その訓練によって素晴らしい鳥猟犬になることが感嘆とともに実感できたが、その優秀な技量を維持していくためには、毎日欠かさない訓練が必要であると聞き、能力の維持と増進へのたゆまない努力と配慮が大切であるということが理解できた。

水好きラブの泳ぎは体力アップに

 ラブラドールは鳥猟犬として作業犬としてかけがえのない犬種であるがために、それに見合った配慮は飼い主の当然の義務であるとまで言った「ラブラドールは単に愛玩犬ではない」と言い切られてしまったので、二の句がつけなかった。 北アイルランドのラブラドールもサンドリンガム犬舎のラブラドールも、厳しい自然の中で厳しい訓練をうけ、選択、淘汰され、優秀な能力を発揮できる犬だけが生き残ってきたという現実を裏付けるように、作業中は驚くほど鋭い目つきと敏捷な動きをする。「ラブラドールは愛玩犬ではない」という意味がよくわかる。

ラバンはアドレア海を泳ぎイタリアへ

 しかし、盲導犬訓練をコース・アウトになったラブラドールたちが、家庭犬として、愛玩犬として有用な存在になっていることから、鳥猟犬、盲導犬、麻薬探知犬など、優秀な作業犬としてのラブラドールたちに大いなる存在価値が認められるのと同時に、作業犬としての能力を発揮する機会に恵まれなかったラブラドールたちにも、家庭犬として、愛玩犬としての存在価値は十分すぎるほどのものが認められる。 生活の「伴侶」として「被愛対象」として、ラブラドールがもつ卓越した能力が飼い主である人たちの高度な要求に十分応じられるものだからであろう。

坂を駆け上がると脚力訓練に 

 しかし、家庭犬と愛玩犬とはほとんど同じと考えてもいいようでもあるが、家庭の一員としての役割を担う姿勢と努力を求められる度合いには違いがある。 家庭犬と言われながらも、全く使役犬と言って不自然さを感じない状態にあれば、愛玩犬と言われることはないであろう。 こういったことから、純粋な愛玩犬は、ちょうどメルドラムさん宅のダックス・コルギーのように、わがままいっぱいに騒ぎまくって手に負えないときにはひょっと抱き上げ、隣室に連れていって置いてこれたように、軽く抱きあげてしまうことができるほど小さくて、躾や訓練などとまったく無縁でも、「手に負える」ものでなければならないのかもしれない。

 

コベントガーデンにあった

 そう考えてみると、ラブラドールは純粋の愛玩犬にするには大き過ぎるし、力が強すぎる。メルドラムさんの言う「ラブラドールは愛玩犬ではない」という言葉の中には、「もてる能力と資質を引き出して、十分に発揮させてあげねば気の毒だ」という意味が込められているように思われ、「作業を通して飼い主から褒められる喜びを与えてあげることも共に大切である」と言っているように思えた。 メルドラムさんの説明によると、英国におけるハンティングの猟場はほとんど牧草地であって、牧草地は羊や牛が勝手に移動できないように灌木や石積みの垣根で仕切られていることから、ジャンプして飛び越えられるようにしておくのも、また重要な訓練の一つであることのことである。

 御用邸にはたくさんの名画が陳列されて

 今回の訪問では、場違いな闖入者の勝手な願いに心よく応じてくれたリードさんとメルドラムさんの親切な計らいと、暖かいもてなしにはお礼の言いようもない。 また図らずも緑の大地のような信念と心意気に生きる英国人の心根に触れさせてもらうことができ、また彼らのラブラドールへの思いを教えてもらうことができ、ただただ感謝の気持ちでいっぱいである。望外のご高配に感謝し、本誌上を借りて衷心よりお礼申し上げます。(完)

 

 

 

 
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